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小売・流通 × イノベーションによる成長 日本唯一の前掛け専門店の挑戦
古きを温ね、新しきを拓く

エニシング

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10年前には衰退する一方だった前掛け作り。だが、個人需要と「ブルーオーシャン」としての前掛けの可能性に惹かれ、日本で唯一の前掛け専門店「エニシング」(東京都小金井市)の誕生によって変革が起こりつつある。知恵と技が凝集された伝統の歴史を紐解き、商品本来の役割を見据えたとき、新たな需要の道が拓かれる。

個人需要と「ブルーオーシャン」で
新たなマーケットを

 
15世紀に誕生し、江戸時代後期には今の形になったと言われる伝統的な日本版エプロン「前掛け」。屋号や社名を入れる前掛けは、自らの仕事に対する誇りと宣伝を兼ね、職人や商店で働く人々に作業着として愛されてきた。しかし、昭和40年頃を境に需要は減る一方。そこへ新たな風を送り込んだのが、日本で唯一の前掛け専門店「エニシング」の西村和弘社長である

創業当初(2000年)は漢字や伝統的な和柄を無地のTシャツにプリントした「漢字Tシャツ」の企画・販売をしていました。以前勤めていた大手食品メーカーは顧客目線というより、POSやチェーン店中心のシステムによって食品が破棄されるケースもあった。

「このままじゃ日本は駄目になる」と思うところもあって、日本の良さを世界に発信する仕事をしようと始めたのが、漢字Tシャツの専門店でした。

もちろん販路開拓は厳しかったのですが、そのうちに雑誌の通販に取り上げてもらうようになり、同時期に普及し始めたインターネット販売も行ないました。雑誌に掲載された直後は月に500枚近く売れますが、普段はせいぜい100~200枚程度。そんなとき、浅草橋で偶然、無地の前掛けを見かけたのです。それまでにもTシャツの他に、帽子やバッグにプリントをして販売していたので、最初は前掛けもそのうちの一つというぐらいの気持ちでした。

ところが、思った以上に反応があって、月に200枚もの注文が入ってきた。こうなると、問屋さんで前掛けを買っていたのでは間に合いません。受注増加の見込みもありましたし、前掛けを作っている現場の職人さんに聞きたいこともたくさんあった。一度、前掛け工場を訪ねようと思いました。

ところが、情報を辿っても前掛け工場はなかなか見つからない。ようやく突き止めたのは探し始めてから半年後。居ても立ってもいられず、すぐに愛知県豊橋市の工場を訪ねました。

昭和20、30年のピーク時は市内にあった200軒近くの前掛け工場から1日10万枚も出荷されたというが、需要は減り、今やわずか数軒。そのうえ職人の多く70代と高齢化が進む中で「俺らも辞めるつもりだから、あまり一所懸命やらないほうがいい」とさえ言われた。

そのときは会社を前掛け専門店にするつもりはなく、あまり深刻に受け止めていませんでした。ところが、帰り際、それまでぶっきらぼうな素振りを見せていた染め職人さんが言うのです。「今、東京で頑張っているブランドがある。そこの前掛けの型紙は全部俺が手で彫っているんだ。勉強になるから見ていけ」と。型紙を見て驚きました。そこにあったのは全て僕らのデザインでしたから。問屋さんから型紙は福岡で作っていると聞いていましたが、実際は福岡から豊橋へ外注に出していた。このとき分かったのです。日本中どこを探しても前掛けはこの豊橋でしか作れないんだと。

職人さんたちは「需要がない」と言いますが、彼らの言う需要とは最低でも500枚から。一方、僕らは創業当初から1枚単位でTシャツを受注していたこともあって、1枚と500枚の間の需要を掬えると思った。

現に弊社に注文が来ているように需要があるにもかかわらず、目の前で前掛けの製造が消滅しようとしている。Tシャツは僕らじゃなくても作れる。それなら自分たちにしかできないことをやろう、と。前掛けに「ブルーオーシャン」(競合相手のない未開拓の市場)を見たのです。そこで前掛け専門店へと舵を切りました。

その後、2006~2007年にテレビの取材が相次ぎ、個人需要が増えたことも1つの転機になった。





伝統的な日本版エプロン「前掛け」。一般的なサイズは横幅47cm、縦70cm。価格は3800円~1万円で7色展開している。

 
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