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ビジョンを共有できる人材とともに未来を創る

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2000年、父親が創業した日本電鍍工業株式会社を突然継ぐことになった伊藤麻美氏。企業で働いた経験もなく、ましてや経営に関する知識もない32歳の女性が社長に就任することに社内外は大いに動揺した。しかし、経営不振にあえいでいた同社はわずか3年で黒字化、伊藤氏は経営者として一躍注目される存在となった。そんな伊藤氏をしても、組織改革には長らく着手できなかった。経営再建を支えたベテランの姿勢ややり方を変えることができなかったからだ。そこで、地道に20代、30代の若手を採用し、機が熟すのを待った。2014年、ついに組織づくりへと動き出す。7年経ったいま、現場は若手の創意工夫に溢れ、技術力が向上し、新たな事業も軌道に乗りはじめたという。ベテランが強かった組織が様変わりしているのだ。一体どのようにして組織改革を進めてきたのか、伊藤氏にその経緯と今後の展望をうかがった。

10億円の負債をわずか3年で黒字化
――社長就任当初は10億円以上の負債を抱えるなど倒産の危機にありました。再建できた理由は何だったのでしょうか。
伊藤 一言でいうとそれまで中心だった時計の仕事を追わなかったから。ですが、それができたのは、経営者としてまったくの素人だった私に、ベテラン社員が協力してくれたことが大きいですね。
まず私は、自社サイトを立ち上げたり、展示会に足を運んで営業したりと、医療や楽器などの時計以外の仕事を取りに行きました。
少しずつ注文が入るようになるなか、非常に高度な技術が求められる医療用カテーテルの仕事が舞い込んだんです。社員はみな「とてもできない」という反応でした。でも、「この仕事が会社の未来を決める」「みなさんならできる」という気持ちを伝えるうちに、「やってみるか」とベテランが動いてくれた。この仕事をやり遂げられたことが、時計以外の分野でも十分にやっていけるという自信とやる気につながりました。そうして仕事の幅が広がり、利益率も上がりました。
ほかにも、保有していた土地の売却や、売り上げが落ちていた部門を閉鎖したことなどもあいまって黒字化につながったのだと思います。



未来を見据えた組織づくりに着手
――経営が正常化した後、社長としてのスタンスに変化はありましたか。
伊藤 そうですね。社長就任当初は、一刻も早く経営を立て直さなければと短期的な視点でしか物事を考えられなかったのですが、07年にはISOを取得し、給与面も少しずつ改善して会社らしくなってきたところで、100年企業という大きな目標が見えてきました。時代に合わせて柔軟に変化していくためには、ともに未来を見据えながら創意工夫してくれる人材が必要です。ですから業績が回復してからは、20 代、30代を積極的に採用してきました。
とはいえ、若手を入れただけでは何も変わりませんでした。ベテランの存在が非常に大きかったことに加え、「いままで通りやればいい」「若手に技術を教えない」といった彼らの後ろ向きな姿勢が組織の足かせになっていたのです。私自身、大変な時期を一緒に乗り越えてくれた彼らには遠慮もあって、強く言うことができなかった。私ひとりが騒いでも変えられない、とも思っていました。
そこで、若手の中に「このままではいけない」という意識が芽生えるまで待つことにしました。みんなが私にしっかりとついてきてくれるタイミングを探っていたわけです。
――実際に組織づくりに着手されたのはいつ頃ですか。
伊藤 2014年に外部のコンサルティングを導入したことがきっかけになりました。これに対しベテラン勢は猛反発。若手も100%賛同していたわけではないけれども、試行錯誤しながら変化しなければならないことは理解してくれていたのです。ベテランと私たちとの感覚のずれが明白になったことで、協力的でない人には退職を促そうと決意しました。
その一方で、若手社員とは飲みに行くなどしながら、自分の考えを共有していきました。最終的には、「〇〇さんがいなくなっても大丈夫?」と確認すると「任せてください、自分が何とかします」と言ってくれるようになりました。ここから徐々に組織を変えていったのです。


問題意識の共有から生まれる若手の創意工夫
――具体的にどのようなことから始められたのですか。
伊藤 最初に取り組んだのは、プロセスマネジメントと5S。生産工程をすべて確認することで問題点を見える化しました。そして、現場の整理整頓をして生産性を上げ、不良品が出る確率を下げる。それだけで解決できない場合は、どこにどういう問題があるのかを細分化していきました。めっき処理はほぼ手仕事で、どうしても属人的になる部分があるのですが、可能な限りマニュアル化もしました。その後、生産管理システムを変更し、故障が相次いでいた設備も刷新しました。
――これまで手をつけにくかったことに一気に取り組まれたわけですね。技術が引き継がれないままベテランが退職したことで、問題は起きなかったのですか。
伊藤 めっき液のトラブルは起きましたし、一時苦しい時期はありました。でも、腕は以前よりも上がったと感じています。
――どういうことでしょうか。
伊藤 めっきの技術というのは、製品一つひとつの繊細な違いに合わせて工夫を積み重ねることでレベルが上がっていくと言えます。例えば、製品が10点あるとして、その10 点の金属表面にはそれぞれ、研磨の仕方や素手で触っていたのかどうかなど本当に些細な違いが現れます。したがって、同じ処理をしていたのではきれいに仕上がらない。1点1点、一工程ごとに状態を確認しながら、めっきののりが少し悪いなと思ったら1秒長くやる、温度を上げてみるなどの調整をするわけです。最良のものに仕上げるにはどうすればいいのかと常に考えなければならない。逆に、常に創意工夫をしている人はレベルアップが速いということです。
―― 創意工夫できる前向きな若手が集まったということでしょうか。
伊藤 集まったというよりは、ベテランという天井がなくなったことで、より自由に発言ができ、発想を形にしやすくなったのだと思います。
2016年頃から、毎朝品質会議をしているのですが、社員間で問題意識を共有できていると感じます。トラブルに対処する際にも、メンバーそれぞれが危機意識をもって動くので、問題解決のスピードが速いのです。
また、リーダー層が着実に成長しているため、その後を追いかけるようにして、若手が上を目指す雰囲気に自然となっています。



人材育成が事業拡大へと結びつく好循環
――若手の育成につながる具体的な取り組みはありますか。
伊藤 毎年、数名の社員を東京都鍍金工業組合高等職業訓練校に送り出し、これまでのべ10人が修了しています。訓練校では技術を学ぶだけでなく、外の世界を知ることで、新たな分野の開拓につなげてほしいと期待しています。
また、昨年は社内で技能大会を開催しました。毎年、全国めっき技術コンクールという大きな大会が開催されているのですが、貴金属めっきの部門がないために、当社は出場機会がありませんでした。それがたまたま、数年前に無電解ニッケルの部門で出場した社員が厚生労働大臣賞を獲得したのです。その際に、社員のモチベーションがすごく上がったんですね。
めっきは黒子的な仕事ですし、めっき職人になりたいという人はまずいません。でも、携帯もパソコンも、衛星もすべてめっきの技術がないと動かない。自分たちは世の中に不可欠な技術を身につけているのだという誇りを持ってもらえたら。そんなふうに思っています。
――新たな事業は社員からの提案だったそうですね。
伊藤 現場からの提案でアルマイト加工事業に参入しました。アルマイト加工というのは、アルミニウム表面の耐食性や耐摩耗性の向上、装飾などのために施す技術です。従来の貴金属めっきは、金などの材料自体が高価な上に、相場変動に左右されて利益率が出づらいという特性があります。
対してアルマイト加工は、材料費率が低い。市場を調べてみると、ニーズは増えているもののシーズが減っていることがわかり、うちが参入する余地がある、と約1億円を投資してアルマイト加工ラインを新設しました。いまのところアルマイト加工の売り上げは毎月上がっており、ゆくゆくはめっきと並ぶ事業の柱にしていきたいところです。
――若手の成長が新事業へとつながる、理想とする組織の形になりつつあるのでは。
伊藤 もっと事業の幅を広げていきたいですね。今後も時代が変わり続ける中で、お客様の変化に対応すべく準備をしておかないといけない。つまり、貴金属めっき処理やアルマイト加工だけではなく、新規事業を開拓していく必要があるのです。
私自身、会社の未来のためにいま何をすべきかをいつも考えていますし、これはやるべきだと思えばすぐに実行します。そのときはもちろん、リーダーたちを交えて会議をしますが、遠慮せずに言うべきことを言います。社員にもそうあってほしいですね。ですから、社員から採算がとれそうな事業計画が出れば、いつでも形にしたいと思っています。
――突然の社長就任から20年が過ぎたわけですが、将来的な事業承継については考えていますか。
伊藤 世襲にはこだわっていません。社員が手を挙げれば任せたいと思っています。いずれは、社長になりたいという20代の社員が数名いますが……。まだまだ見極めが必要かなと。いずれにしても、私がいなくてもきちんとまわっていく会社にすることを念頭に、次の一手を考えています。
(文中敬称略)

日本電鍍工業株式会社 代表取締役 伊藤麻美氏

Company Profile 
日本電鍍工業株式会社
所在地 埼玉県さいたま市北区日進町1-137
設立 1958年
資本金 1000万円
売上高 7.5億円
従業員数 69名(2021年9月現在)
https://www.nihondento.com/

Profile
1967年東京都生まれ。1990年上智大学外国語学部を卒業後、DJとしてFMラジオなどで活躍する。その後、ジュエラーを目指してアメリカに留学し、宝石の鑑定士・鑑別士の資格を取得。2000年3月日本電鍍工業株式会社の代表取締役に就任。当時倒産の危機にあった会社を3年で黒字化させたことにより産業界の注目を集めた。

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