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廃業から一転、100億円の価値ある会社へ成長

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加熱した金属をたたいて鍛えることで形をつくる鍛造技術。経験と天才的な勘によって、「鍛造では不可能」と言われたいくつもの成型を可能にしてきたのが、平鍛造の創業者であり、平美都江氏の父、昭七氏だ。ところが天才的な職人だった昭七氏は、認知症を発症。取引先に強気な態度を取り続け、事業承継したはずの平氏に相談なく廃業を宣言し、会社は窮地に立たされた。裁判によって会社の代表となった平氏は、裁判中、8カ月もの間操業停止状態で取引先もほぼゼロとなっていた会社をリスタート。経費削減や徹底的な合理化により業務効率を上げ、従業員が生き生きと働く会社へと成長させた。2018年、平氏は、永続的な承継を願い、大手上場企業に会社を売却。同社の経営から退いた平氏に、父への想いや平鍛造の承継についてうかがった。

「骨肉の争い」と言われた事業承継
──平鍛造は、先代が2008年に廃業宣言をして、そこから大変な事業承継問題に発展されたそうですね。
平 父は天才的な鍛造職人でした。培ってきた経験と勘によって、不可能と言われていた、鍛造で凹凸のあるリングを成型する技術を確立しました。技術をとことん突き詰める熱心さの一方、根っからの職人気質で自分の考えを曲げず、常に強気。「高品質なものづくりで、取引先が他社と取り引きできなくなるほどの優位性を生み出すんだ」と言っていました。
ただ、本来承継する予定だった弟が、04年に工場の事故で亡くなってから、タガが外れたようになっていきました。実は、弟が亡くなった年、父は医師からレビー小体型認知症の兆候を指摘され、治療を勧められていたんです。でも、それを認めずに治療も拒否。頑固で他人の話を聞かない父でしたが、それが加速していきました。そして08年、何の相談もなく〝廃業宣言〟をしたのです。
──突然の廃業宣言に、取引先も従業員も戸惑われたかと思います。
平 最初は〝駆け引き〟のつもりだったようです。従業員には「ウチがなくなって困るのは取引先だ。廃業を引き止めるために取り引き額を上げてくるはず」と言っていたようです。他人を信用しない傾向がありましたが、その傾向が強くなり、これまで以上に攻撃的になりました。これも、レビー小体型認知症の症状の一つでした。
廃業宣言当初は、リーマンショックの少し前。取引先からは引き止められたんです。ところが、そうこうしているうちにリーマンショックがきた。当社は、昔から大手企業との取り引きが多いのですが、そんな大手企業の一社が、リーマンショック後すぐに「やめてもらって結構です」と、さっと引いてしまい、父は引くに引けなくなった。大手取引先各社に廃業に関する配達証明まで出したんです。するとどこもあっさりと「しかたないですね」と。
──本当に〝廃業〟になってしまった。
平 私は「廃業なんてとんでもない」と思いました。急いで取引先に謝りに行きましたが、「続けるつもりなら、廃業宣言の前になぜ止めないんだ」とお叱りを受けました。当然ですよね。私が父と全く逆の行動をしたことで、父との関係に亀裂が走りました。互いに「クビだ!」「あなたがやめてくれ」と……。父に「会社の敷地内に入るな!」と言われどうしようもなく、裁判になったんです。
結局、父には退職金と株の売却代金に計60億円を支払い、今後会社に関わらない約束をしてもらい、和解に至りました。



マイナスからのリスタート
──そこから社長として会社を率いていくことになったのですね。
平 会社は8カ月間操業を停止していました。閉鎖する前の売り上げは約140億円でしたが、私が社長になった09年の翌年は、約1億4500万円の売り上げ。取引先からの信用も失い、マイナスからスタートです。
以前の取引先からは「工場閉鎖の間に、他社に頼んだから戻せない」「リーマンショックの影響で注文できない」などと言われ、最初のうちはほとんど仕事が来ず、お金も全くありません。会社を継いだはいいが、その瞬間から存続の危機でした。
まず、会社にあるスクラップなど、現金になりそうなものは全て売り払いました。さらに、従業員に給与を払い続けながらどこまで持ちこたえられるか、穴が開くほど帳簿を見つめました。すると、固定資産が多いことに気がついたんです。会社の規模に対して、工場が多い。使っていない土地もあった。それで工場を一つ売ることにしました。同時に、コストカットと合理化を進めました。
人口減少が進む昨今、いい人材はなかなか採用できません。ですから、今いる人材で会社の利益を高めていく必要がある。そこで、それまで三人でやっていた仕事を二人でやれるようにし、二人でやっていたものを一人でやれるようにと、徐々に機械に置き換えていったんです。
また、喫緊の課題に、工場で使う膨大な電気代の削減がありました。そんな時、太陽光発電の買い取りに関する法律が導入された。「これだ!」と思いました。「使っていない土地に太陽光パネルを設置しよう」と。即断即決です。設置費用は約9億円。工場を売って得たお金などでどうにか捻出して始めました。
──大胆な投資のように感じられます。
平 ポイントは「現金を得るための設備投資」です。太陽光発電を手がけたことで、自社の電気をコストカットするだけでなく、最終的に年間約3億円の現金収入が得られるようになりました。コストカット、現金をつくるための設備投資、省人化を徹底的に行い、利益率の高い会社にしていったんです。
──先代とはまた違った方針で経営を貫かれてきたんですね。
平 父から鍛造技術は学びましたが、勘も技術も及ばない。父の“カリスマ性を生かす経営”は私にはできません。やってみたいこともありました。その一つが海外販路の開拓です。
父は「ウチの製品は世界一だ!」と言いながら、「安い価格でしか取り引きができない海外はダメだ」と言っていました。でも私は、海外で認められることで名実ともに「世界一」になりたいと思った。海外からの受注は、確かに単価が安いものが多い。でも、短時間で大量につくる方法を考えればいいと思いました。
鍛造は、炉に入れてから製品を取り出すまでに待機時間が生じます。それをなくすために、炉の数を増やしました。順番に炉に入れ、全て入れ終わった頃には最初に入れた製品が出来上がる。このノンストップの生産体制で、1日の生産量は同業他社の約20倍に。当社の利益の源泉となっています。



娘の父への想いとは
――そのまま廃業せず、事業承継を選んだのはどうしてでしょうか。
平 父は、「自分のように天才的な才能を持ち、それを研鑽し続けていける人間は二度と出ないから、誰も自分の後を引き継ぐことはできない」と言っていました。「自分がいなくなり、会社が衰えていく姿は見たくないから、自分で幕引きをする」と。でも、私はそれがどうしてもイヤだったんです。
だって、人と会社は違うでしょう。人は歳を取れば衰える。でも、会社は「受け継ぐ」ことができるものです。父の偉業を終わらせてはならないと思いました。
――平鍛造と、その鍛造技術を後世に遺したいと考えられたんですね。
平 私は、父と母が会社を興し、お金がなくて金策に奔走したり、騙されて悔しい思いをしたりしながらも、なんとか踏ん張って技術を研鑽し、会社を大きくしてきた、その過程を子どもの頃からずっと近くで見てきました。父は、私が小学生の時に東京で最初の起業をしました。その際、家にある貯金通帳を全部広げて、「これが資本金になるけれど、足りるだろうか」と母と相談しているところ、融資の相談に行ったけれどダメだった帰り道、そして、大きくした会社を乗っ取られ、地元の石川県羽咋市で再起奮闘したときのこと……。全て覚えているんです。
平鍛造は中小企業ですが、その取引先は名だたる大企業ばかり。「平鍛造があるから」と、取引先各社が会社の近くに製作所をいくつも設立しています。「父が母と苦労しながらつくった、世界一の技術をもつ会社を潰してはいけない。継続させなければダメなんだ」。そんな使命感のようなものがあったんです。


会社を永続させるための決断
――平鍛造は、21年に103億円で第三者承継したとのことですが、親族承継や社内での後継者育成ではなく、第三者承継を選択した理由は何ですか。
平 私が社長になってから約12年の間に、世の中は大きく変わりました。日本の鉄鋼業は衰退し、大きな取引先も力を失いつつある。そんな中、中小企業としてどう生き残っていくかは難しい問題です。その舵取りには、相当なプレッシャーがかかる。そして、経営者に一番必要なのは“覚悟”です。覚悟のない人に任せることはできません。
私には娘がいます。娘夫婦に会社を任せようと思ったこともありました。でも、辞退された。甥にも声をかけましたが、「やる」とは言いませんでした。今後、会社を永続させていくことを考えた時、最良の選択が、取引先の一つである大手企業の子会社になることだった。
事業承継というのは、本当に難しい。それは、私が父から事業を承継する際に痛感しました。私は社長になりましたが、会社は深い痛手を負い、従業員にも多大な負荷をかけた。だからこそ、私が次代に承継する際には、絶対に同じようなことになってはいけないと思いました。
もともとウチは長男至上主義。私は長女でしたが、結婚して家を出て行くのだからと、ものの数にも入っていなかった。社長をやるなんて、考えたこともなかったんです。それが、弟が突然亡くなり、結局、私が社長となりました。世の中、何があるかわからない。でも、会社は、何があっても大丈夫なように、その価値を高め続けていくべきなんだと思います。
父は17年に亡くなりました。でも、父がつくった平鍛造は、世界一の品質の鍛造製品をつくる会社として、社名もそのままに継続できることになりました。
今、「後継者不足」といわれていますが、私は、〝事業価値があれば後継者は必ず出てくる〟と考えています。なぜなら、利益が出ている会社であれば、誰かがその価値を認め、後を継いでくれるはずだからです。「会社の価値をいかに高めるか」、これこそが、次代に事業を渡すものの責任だと思うのです。
(文中敬称略)


平鍛造株式会社 前代表取締役社長 平美都江氏


Company Profile 
平鍛造株式会社
所在地 石川県羽咋市千代町い80
TEL 0767-26-2158
設立 1968年
資本金 3000万円
売上高 50億円
従業員数 83名
http://tairatanzo.co.jp/

Profile
1956年生まれ。77年、日本女子大学理学科を、父・昭七の看病のため中退。平鍛造に入社。工場のオペレーターや営業職を経て、86年、専務取締役に就任。2009年、父が引退するという話になり代表取締役に就任するも、父から何の相談もなく廃業を宣言され、取引先ゼロの状態から営業を再開。数々の合理化を進め、数年で業績を回復。18年、大手上場会社へ株式を90%譲渡。21年6月、残り10%を売却、社長を退任。同年7月に製造業の現場改善を手がけるコンサルティング会社、インプルーブメンツを設立。製造業の現場改善を中心に精力的に活動している。

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