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​世界一やりたいことができる会社を目指す

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2006年、水道メンテナンス事業からスタートしたオアシスライフスタイルグループは、その後、台湾飲茶カフェ「春水堂(チュンスイタン)」でタピオカブームを巻き起こし、さらに独自開発した、スーツに見える作業着「WWS(ダブリューダブリューエス)」を大ヒットさせた。次々と異分野で成功する関谷有三氏の経営手腕は高く評価されており、いま最も注目されている起業家の一人である。そんな関谷氏だが、かつて実家の水道工事店に勤め、後継者として期待されながらまったく成果を出せない危機的な時期が3年間あったという。その危機をいかに抜け出したのか。倒産寸前だった会社をなぜ再建できたのか。そして、なぜ会社を継がず、起業家の道を選んだのか――。経営者人生の原点と事業への想いについてうかがった。

異分野で成功する令和のヒットメーカー
――2006年に水道工事業で創業され、その後、次々と新たな事業領域に進出されています。現在の事業概要について教えてください。
関谷 衣食住の三つの領域で事業を展開しています。創業時は、実家の水道工事店の事業を受け継ぐ形で始めました。マンション向けの水道管のオゾン洗浄メンテナンスを全国7事業所で行っています。二番目に手掛けたのが13年から始めた飲食事業。台湾のお茶カフェ「春チュンスイタン水堂」を日本に上陸させ、現在、19店舗を運営しています。三番目がアパレルで、18年に販売開始した「スーツに見える作業着(ワークウェアスーツ)」は、テレワークが進んだこともあり、今も成長中の事業です。17年に、ホールディング会社としてオアシスライフスタイルグループを立ち上げ、現在、三つの事業会社を展開しています。
――ターニングポイントとなったのが、二番目の飲食事業への進出だと思います。きっかけは何だったのですか。
関谷 仕事で台湾に行ったとき、たまたま入ったのが春水堂でした。タピオカミルクティー発祥の店として、台湾では50店舗以上を展開しています。注文したタピオカミルクティーがあまりにも衝撃的で、「これを日本に持ってきたい!」と思ったのがきっかけです。その場で、この店のオーナーに会わせてほしいと頼みました。もちろん簡単に会ってくれる方でもなく、海外展開しようという意思もなかったようで、その後も何度も門前払いに遭いました。それでもずっとコンタクトを取り続け、最後にはこちらの熱意が届いたようで、3年後に、ようやく日本展開の許可をもらいました。
――そこからタピオカブームに火がつきました。飲食業には関心があったのですか。
関谷 まったくありません。私自身が春水堂に惚れ込んだ、それがたまたま飲食業だったということです。
――そして次も異分野のアパレルです。
関谷 水道工事の事業では、当社には多くの若いエンジニアが勤めています。その作業着をかっこよくしたいと考えたのが始まりです。汚れた作業着とは、彼らにとって“誇り”です。しかし、出勤時や退社後など、シチュエーションによっては少し、恥ずかしさを抱くこともあります。私自身も、子どもの頃から、作業着に対してはそんな複雑な思いがあり、いつか「恥ずかしい」部分を払拭したいと思っていたのです。
そんなとき、ある社員から「仕事帰りにそのままデートに行ける作業着」「スーツに見える作業着」といったアイデアが上がってきました。「それは面白い。社内用だけでなく、ビジネス展開しよう」ということでスタートしました。2年の歳月をかけて、伸縮性の高い生地を開発し、デザイン性と機能性を備えたユニフォームをつくりました。現在1000社以上で導入されています。コロナ禍、テレワーク時にも使いやすいということで、対前年比400%で売り上げを伸ばしています。
――「令和のヒットメーカー」と呼ばれています。異分野でもヒットを生み出せる秘訣があるのでしょうか。
関谷 事業計画の作成やマーケティングなど、テクニカルなことも重要です。しかし、何よりも「やりたいことをやる」のが一番重要だと考えています。社会に役立つことが大前提ですが、他の誰でもない、自分が本当にやりたいことであれば、普通にはない熱意で事にあたることができるからです。
やりたいことをやる、とはそのまま会社の強みとなります。経営ビジョンには「世界一やりたいことができる会社」と掲げています。誰もが、自分がやりたいことを挑戦できる会社を目指しています。



後継者時代の挫折と巻き返し
――起業家のイメージが強い関谷さんですが、後継者でもあったそうですね。
関谷 実家は祖父の代から始まった会社で、宇都宮市の水道工事店です。大学卒業時、父の要請で入社しました。当時は職人さんが5人ほど。大手ハウスメーカーの孫請けという形で、一定の受注はありましたが、一社への依存が強く、受注単価も下げられる傾向にあり、いつ倒産してもおかしくない状況でした。
私に任されたのは新規開拓でした。経験はなくても、なんとかなるだろうと営業を始めてみたら、まったくうまくいきませんでした。3年間1件も受注できず、最後のほうは自暴自棄になり、人と話せなくなり、会社にも行けず、家に引きこもっていました。
――厳しい状況ですね。ここからどう立て直したのですか。
関谷 たまたま用事があって宇都宮市役所に立ち寄った時、補助金のポスターを見つけたのです。「申請すれば50万円もらえるのか! じゃあやってみよう」と。しかし、申請書の書き方もよくわからない。お金もないので専門家に依頼もできない。ところがありがたいことに、市役所には無料の相談窓口がありました。「ここは何と書けばいいか?」「ここは?」と連日のように押しかけ、聞きまくりました。だんだん仲良くなり、「次はこの補助金はどう?」と逆に提案されるような関係になりました。
そんな活動を続け、2年間で20件ほどの補助金に採択されました。なかでも大きかったのが、産学連携の補助金です。宇都宮大学工学部と共同で開発したのがオゾンによる水道管洗浄です。後にこれを事業化し、ビジネスとして成功し、会社を再建することができました。
―― 補助金申請に特化しているうちに、新規事業が生まれたのですね。なかなか成果を出せない後継者にとってはヒントになると思います。
関谷 私の場合、会社に自分の居場所もないという切羽詰まった状況で、やむに止まれず、そうしただけです。結果としては新規事業につながったので、補助金本来の目的に適ったと思いますが、補助金本来の使い方からすると間違っているかもしれません。ですからお勧めはしません。
ただ、補助金申請をやっていくと、必然的に、自社の強みや弱み、将来のビジョンやビジネスモデルを深く考えることになります。実践的な学びが多くありました。
また、補助金以外にも、当時はビジネスプランコンテストと無料の経営者向けの勉強会には出まくることをライフワークとし、そこで事業プランの磨き上げやプレゼンの仕方などを身につけていきました。栃木県のビジネスプランコンテストではグランプリを受賞。それを機にオゾン洗浄メンテナンス事業が注目され、受注が舞い込むようになりました。
――引きこもっていたというのが嘘のようですね。
関谷 その頃もう一つ、やっていたのが人脈づくりです。いろいろな先輩経営者の方にご飯に連れていってもらい経営の話を聞く、これをほぼ日課のようにやっていました。若かったというのもありますが、「経営について教えてください。できればご飯に連れていってください」と依頼すると、面識がない方でも、結構、応じてくれるものです。
その際、自分に課していたルールが「三度の礼」。一度目は、お店でご馳走してもらった帰り際に、二度目は帰りの途中に携帯メールで、三度目は翌日、絵葉書で送りました。当時の私にお返しとしてできるのは、御礼くらいです。そんなことでも徹底することで、幅広い人脈ができました。
――後継者として成功されました。そのまま会社を継がなかったのはなぜですか。
関谷 水道工事はもともと自分がやりたかったことではありません。それでも成果を上げることができた。だとすれば、本当に自分のやりたいことをビジネスにすれば、もっと成功できるのではないか? 当時はまだ何をやりたいかはわかっていませんでしたが、後継者だからといって家業の範囲で収まらなければならないということはない、もっと挑戦できるはずだと考えたのです。
地元メディアでは注目されるようになり、居心地も良かったのですが、このまま栃木で小さな成功に満足していては、自分はこれ以上成長できないという思いもありました。
「東京で勝負したい」と言うと父は大反対。結局、意見の対立は埋まらず、会社を辞めて上京、起業しました。その後、父の会社は廃業し、その際に、事業や特許権を当社で買い取りました。会社は継ぎませんでしたが、事業は継いでいます。
――関谷さんは自分で会社を立ち上げ、やりたいことを実現してきました。同じように社員たちが、やりたいことにチャレンジするための工夫などはありますか。
関谷 新規事業が生まれやすい仕組みや制度などはありません。会社として導入する気もありません。そもそも仕組みや制度に頼って生まれたビジネスプランはその程度のもの。自分自身を突き詰めて、出てきた「やりたいこと」でなければ、熱意が続きません。
社員にはやりたいことがあるなら、まずは私にプレゼンをして口説き落とせと言っています。私すら納得させられないビジネスプランは世の中で通用するはずがありません。何度ダメ出しされても食らいついてくる、本気の「やりたいこと」を期待しています。私自身のやりたいこともまだまだあります。中長期的には10事業10カ国、1000億円のグループ企業を目指しています。
(文中敬称略)


株式会社オアシスライフスタイルグループ
代表取締役CEO 関谷有三氏

Company Profile 
株式会社オアシスライフスタイルグループ
所在地 東京都港区北青山1-2-3 青山ビル2階
設立 2017 年6 月(オアシスソリューションは2006年)
資本金 9000 万円
売上高 49億5000万円(グループ連結)
従業員数 210名(グループ全体)
https://oasys-inc.jp/

Profile 
1977年栃木県宇都宮市生まれ。大学卒業後、倒産寸前だった実家の水道工事店を立て直すため地元に戻り再建。2006年(株)オアシスソリューションを起業。実家の水道メンテナンス事業を発展させ、業界シェアナンバー1へと成長に導いた。その後、台湾カフェ「春水堂」、スーツに見える作業着WWSと、異業種でのビジネスが次々と成功。「令和のヒットメーカー」と言われる。著書に『なぜ、倒産寸前の水道屋がタピオカブームを仕掛け、アパレルでも売れたのか?』(フォレスト出版)

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