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地道な努力が生き残る強さをつくる

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創業600余年という長い歴史を誇る鎌先温泉の老舗旅館、湯主一條。その泉質は傷や火傷にも効き「傷に鎌先」といわれる、奥羽の薬湯として、かつては多くの湯治客が訪れていた。だが、医療の発展とともに、1週間以上逗留し、温泉に浸かって傷や病気を癒す“湯治”文化そのものが廃れていった。周囲の旅館が建物を近代化、社員旅行などの団体客を誘致し、大きくしていく中、湯主一條は、その波に乗り遅れ、閑古鳥が鳴く古い湯治旅館として苦境にあえいでいた。2003年、二十代目となった一條一平氏は、改装に加え、徹底した掃除、接客や料理を磨き、建物の古さを武器に、コロナ禍でも客足の減らない旅館へと変革。平日は空き部屋ばかりという状態から、コロナ禍にあっても多くの宿泊予約がなされる旅館となるまでに、どのような改革を行ったのか。その改革と、コロナ禍の経営について伺った。 本記事は2020年11月19日の取材をもとに作成したものです。

時代の波に乗り遅れ凋落する湯治の宿
──湯主一條のある鎌先温泉は、もともと、傷や病気を癒すために長期間滞在して温泉に入る、“湯治”の宿として発展してきたと伺いました。
一條 鎌先温泉は、湯主一條の初代が開いた温泉地です。桶狭間の戦いで、今川に加担していた初代がこの地に流れ着き、湧いていた温泉で傷を癒し、この場所に湯屋を建て、旅人が泊まれるようにしたのが始まりと言われています。今から30年ほど前までは、湯治とレジャーの文化が融合しており、旅館は常に湯治客でいっぱいでした。相部屋で、8畳に6人が寝泊まりしていたこともあったほどです。木造本館は、湯治のお客様が宿泊する湯治部、別館が観光などで宿泊する旅館部となっていて、湯治部の方は長逗留する方用に自炊設備もありました。
──それが、次第に湯治客が減ってしまったんですね。
一條 私は高校卒業後、「親が敷いたレールに乗って家業を継げばいい」という母親への反発と、近代的なホテルへの憧れもあり、東京でホテルの専門学校に入学しました。「お客様が減っているんじゃないか」と感じたのは、学校を卒業し、一旦実家に戻った時のことです。時代はバブル真っ盛り。お客様はいましたが、以前よりも少なく、活気がないような気がしたのです。ホテル文化を学び、それを旅館経営に役立てるつもりで帰郷したものの、母親と大喧嘩。もう二度と戻らないつもりで実家と決別し、東京でホテルに就職しました。ただ、自分では戻らないつもりでいましたが、研修先のホテルの先輩でもある妻に言わせれば、そうは見えなかったようです。「よく実家の旅館について自慢するかのように話していて、帰りたがっているように見えた」と言われました。音信不通だった母と、都内で偶然再開したのはそれから3年ほど経った1998年のことです。たまたま行った眼鏡店で母に声をかけられたんです。「助けて欲しい」と言われ、帰る決意をしました。


できることをコツコツと女将と行った大改革
──戻られた時にはすでに経営は悪化していたんですよね。
一條 旅館の運営は、当主である父ではなく、支配人、番頭、仲居頭、料理長の4人に仕切られていました。彼らを軸とした従業員たちは、昔ながらのやり方を変えようとはせず、戻ったばかりの頃は、かなり煙たがられました。とはいえ、一番悪かった時には、借り入れが3億円にもかかわらず、売り上げは1億円。ギリギリの状態でした。なんとかしなければと考えていた時、父が急逝したのです。2003年のことです。
──本格的な改革はそこから始まったんですね。
一條 旅館を継いで最初に行ったのは、本館の一部を今のかたち、つまり個室料亭へと改装することでした。これは女将となった妻のアイデアです。湯治部と旅館部合わせて71室あった客室を、24室に減らし、宿泊する部屋とは別に、食事のためだけの個室を部屋数と同じだけ用意し、そこで食事を楽しんでもらうことにしました。当時、旅館の食事といえば基本的に部屋食。従業員から「わざわざ別室で食事をとる旅館なんて聞いたことがない」と言われました。でも、その時女将は「どこもやっていないからこそやってみる価値がある」と言い、私は女将と共に「自分が受けたいサービスは何か」を考え、実現していきました。資金はごくわずかしかありません。その中で何が出来るのか考え、今いる従業員の質を徹底的に向上させることにしました。具体的には、掃除、接客、料理の質を上げることです。隅から隅まで磨き上げ、徹底した清掃をすること、接客のための正しい作法を身につけること、料理の質を上げることに注力しました。有り難かったのは、時代遅れだと思っていた古い木造建築が、逆に強みとなったことです。湯主一條の本館は、大正から昭和初期にかけて建てられた木造建築で、国登録有形文化財に指定されています。この古い建物が、今では年輩の方には「なつかしい」、そして若い方には「かっこいい」「泊まってみたい」と感じてもらえるようになったんです。



優先順位を変えて対応するコロナ禍でも沈まない経営
──コロナ禍で多くの企業が苦境に立たされていますが、湯主一條では、どのような影響がありましたか。
一條 新型コロナウイルスの脅威が日本で取り沙汰され始めたのは2020年の1月後半あたりからだったと思います。次第に深刻な様相になっていきましたが、私どもに関して言えば、1月から3月までは調子が良かった。特に3月は女将がテレビに出たことで、通常より多くの予約が入っていました。ところが、4月に緊急事態宣言が発令され、キャンセルが相次ぎました。それで、4月から5月にかけて39日間、休業しました。5月の後半には営業を再開しましたが、想像以上に客足の戻りが早く、6月の売り上げは対前年比91%となりました。さらに7月は、政府の支援施策としてGoToトラベル事業がスタートした影響で、対前年比140%。8月は110%と大きく伸びたのです。部屋の稼働率が急速に上がり、平日も休日も予約数が変わらないほどになったため、9月以降は室料を上げ、あえて稼働を落としてスタッフの休みを優先させました。現在では、5部屋から6部屋を必ず空けて、満室にならないように調整しています。というのも、旅館やホテルでは、部屋が満室になる週末に合わせて従業員を確保します。週末は全員出勤し、それ以外の日に休みを調整するんです。平日も休日も関係なくどんどん予約が入れば、従業員は1日も休めなくなってしまいます。スタッフの休みを確保するためにも、予約を調整する必要がありました。
──毎日満室なのは良いことのように思えますが、働く側からすると、休日がなくなることを意味するのですね。
一條 3年ほど前から繁忙期といわれるお盆や正月であっても、絶対に満室にしないことにしています。従業員が接客に余裕を持つことで、より良いサービスが提供できると考えるからです。また、空き部屋があれば、突然の設備トラブルにも対応しやすくなります。そのためにも、空き部屋を用意しておくのです。



「また行きたい」と思わせるサービスで勝負
──宿泊料金を上げたにもかかわらず、「予約したい」という人が後を絶たない状況だと伺いました。
一條 一流の接客、一流の料理、一流の立ち居振る舞いをし続けていくことで、「高いお金を払ってでも泊まりたい」と思ってもらえるんだと感じています。また、今回のコロナ禍のように危機的状況になると、人は見知っているところでしか消費しなくなります。つまり、より「安心・安全」を求める気持ちが強く働きます。今、一條を訪れてくださるお客様の大半は、友人や家族など、ごく親しい人からのご紹介です。感染拡大防止のためには、エントランスなど人が集まる空間の換気が大切になってきます。湯主一條の場合、木造本館は古い建物ですから、襖にも隙間があります。廊下は外と一体化していて、夏は暑く冬は寒い。自然に換気ができている状態ですから、それだけでも安心感がある。食事は宿泊する部屋とは別ですが、個室ですし、お客様同士が廊下で鉢合わせすることが少なく、プライベート感を感じていただけるように時間差で提供しています。通常よりも宿泊できる部屋の数を減らしていますから、ほとんど誰とも会わずにゆっくりと温泉や食事を楽しめた、というお客様もいらっしゃいます。
──コロナ禍によって、経営が厳しくなってしまったところも多いと思います。
一條 一時、「GoToトラベルキャンペーン」で持ち直したところも多いようですが、問題は、正規の料金に戻った時に、どれだけのお客様が来てくれるかだと思います。ですから、本当の勝負はこれから。「もう一度あの料理を食べ、サービスを受けたい」と、湯主一條に宿泊するためにお金を貯め、また来てくれる――。そんな方が増えるように、接客の方法、料理の出し方、動線など、改善すべき点を改善し、付加価値を高めていくことが肝心なんだと思います。(文中敬称略)

時音の宿 湯主一條
第二十代当主 一條一平氏

Company Profile
合資会社一條旅舘 時音の宿 湯主一條
所在地 宮城県白石市福岡蔵本鎌先一番48
TEL 0224-26-2151
創業 1560年
従業員 25名
資本金 488万円
売上高 3億円
https://www.ichijoh.co.jp

Profile
1969年3月生まれ。1989年ホテルワトソン入社、フロント勤務。96年ホテルインターコンチネンタル東京ベイ入社。フロント・コンシェルジュ勤務。99年合資会社一條旅舘入社。2003年、父の急逝により、社長就任。「時音の宿湯主一條」に屋号を変更。2014年、裁判所の許可を得て一條一平に改名、代々伝わる「一平」の名を襲名する。

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