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製造 × 後継者による事業革新
「思い出に残る」商品づくりで新市場を創出する

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佐賀県小城市に本社を置く友桝飲料は、1902年創業の老舗飲料メーカー。「こどもびいる」や「地サイダー」に代表されるソフトドリンクの商品化サポート事業を主軸に、年間約150種類の新商品を開発、ヒット商品を続々と生み出し成長を遂げた。大手寡占化が進む飲料業界において、クリエイティブな発想を活かして躍進する友桝飲料。25歳の若さで四代目を継承し、独自の路線で事業拡大を続ける友田社長に、事業継承をきっかけにイノベーションを為しとげた経緯をうかがった。

厳しい経営環境にある老舗飲料メーカーを継ぐ
友桝飲料の創業は1902年。初代の友田桝吉氏が、佐賀県小城市で、当時斬新だった瓶入り炭酸飲料の製造・販売を始め、地元の飲料メーカーのパイオニアとなったことに始まる。太平洋戦争で事業は一時途絶えたものの、戦後間もなく再開し、60~70年代には、個人宅への配達を中心に、年間最大400万本を売り上げるに至った。しかしスーパーやコンビニエンスストアが登場し、海外の大手清涼飲料メーカーや酒類メーカーも市場に参入すると、業界の状況は一変。軽くて割れないペットボトル飲料が主流となり、瓶入り飲料の市場はしだいに縮小していく。全国で2000以上あったメーカーは徐々に減少し、現在は100社程度にまで激減したといわれる。中小のメーカーが苦境に立たされる中、商社に就職していた友田社長は家業に戻り、翌年の2001年、25歳の若さで代表取締役社長に就任。当時、社長だった祖父を専務として支えていた父は、まだ50代半ばだった。「本来は父が継ぐべきでしたが、職人肌の父は『自分は経営に不向き。いずれお前が社長を継ぐのなら、早い方が良い』と。祖父にも勧められ、継ぐことを決断しました。祖父も父も、承継後は一切口出ししませんでした」。


背水の陣から生まれたODM事業
友田氏が友桝飲料に戻った当時、社員は親族を中心に10名強の、家族経営の会社だった。みなが年中休みなく働くことで、何とか経営している状況だった。「当時、炭酸飲料メーカーの業界では、大手メーカーが市場の95%を占め、中小メーカーのほとんどが、生き残るため大手の下請けとなる道を選びました。しかし当社は幸か不幸か、他社のように下請けになる波に乗り遅れたのです」。友田氏には、家業の将来にビジョンを見出せなかったと振り返る。「自分が60歳までこの事業で働いていけるというイメージは持てませんでしたし、次の代や若い世代がこの会社で働きたいと思うかどうかを考えると、そういう気持ちにはならないだろうとも思いました」。このままでは将来はない。友田氏は、自社の技術・ノウハウ・人材を活かせる製品、大手にはつくれない自社ならではの製品はないかと模索していた。



そんななか、年に数件「こういうものをつくれませんか?」という問い合わせがあった。その一つが、福岡市の飲食店、下町屋とのコラボで商品化された「こどもびいる」だ。きっかけは「アルコールに弱い成人女性でも、乾杯でみんなと同じように盛り上がれるように、ビールのような炭酸飲料をつくろう」という店主の思いつきだった。店主がビールのラベルに似せた手作りラベルを貼って瓶入り炭酸飲料を店で出すと、思いのほか受けがよく、手作りでは対応できないほどの数量が売れる。そこで炭酸飲料製造元の友桝飲料に、ラベル製作を依頼してきたのだ。友田氏は「せっかくラベルを作成するのであれば、中身の炭酸飲料自体も、満足できるものを作りましょう」と店主に提案し、メーカーとして正式に商品開発を行うこととなった。店主と何度も議論し商品の改良を重ねた結果、商品名、ビールそっくりの瓶容器、独自の味わいと、インパクトと個性のある「こどもびいる」が誕生した。



「こどもびいる」のヒットで全国から問い合わせが殺到
04年に下町屋だけで発売された同商品は、コンセプトの面白さからメディアでも大きく紹介され、他の飲食店からの引き合いが急増。年に100万本以上を売り上げる、同社の大ヒット商品となった。当時、ビール業界では「ビールそっくりの味」のノンアルコールビールの開発を急ぐ一方、「居酒屋には行くがお酒もビールも苦手で、サイダーのように甘く爽やかな飲料を好む成人女性」には関心が薄かった。そうした人をターゲットとした飲料も存在していなかった。「こどもびいる」は、この潜在的でニッチな新市場を開拓したのだ。同商品がきっかけとなり、「店や地域のオリジナル飲料をつくりたい」という飲食店や観光業界などからの問い合わせが、全国から殺到するようになった。そうした顧客は、大規模な工場に相談しても「ロットが小さくコストに見合わない」などの理由で門前払いされ、最後の希望として友桝飲料に問い合わせてくることが多い。「依頼を受けて行うオリジナル商品の開発では、なにより顧客に喜ばれ、感謝してもらえます。炭酸飲料生産における繁忙期の夏以外なら、生産設備を活用でき、顧客のニーズに応えることができました。多品種少量生産で収益化が難しいものの、私が窓口になって一人で対応すればコストは抑えられます。大手はこういう手間のかかる仕事はやりたがらないでしょう。



だからこそ、うちで引き受けようと続けたのです」。友田氏は日々の業務と並行して、こうした商品化サポート事業を早朝から深夜まで行った。最初は遠巻きに見ているだけだった社員たちも、社長が地道な努力を重ねる姿を見て、協力を申し出るようになっていった。当初は収益性の低かった商品化サポート事業だが、贈答品やお土産などの高付加価値商品に特化。単なる委託生産の「OEM」ではなく、顧客のニーズをくみとり、商品開発やパッケージデザイン、マーケティングなども手がけ、物流や販売までを一貫してサポートする「ODM」事業として根付かせた。これにより、小ロット生産ながら高い収益性も確保できるようになった。現在、年間の新商品開発数は約150件にのぼる。「プロが使うための本物のジンジャーエールがほしい」という飲食店の声から、バーテンダーに監修を依頼した「n.e.o」シリーズや、香川県知事賞を受賞した地サイダー「オリーブサイダー」など、他社が真似できない独自の商品を次々と生み出している。


記憶と思い出に残る商品を100年先までつくり続ける
同社の現在の社員数は135名。経常利益率は15%(18年)と、飲料業界でトップクラスの水準となった。12年の小城工場の操業開始に伴い、新卒社員の採用を開始。従業員数の増加と若返りのタイミングに合わせ、友田氏は先代から継承されていた家訓を整理し『友桝フィロソフィ』として一冊の本にまとめた。15年4月には小城第2工場、6月に長野県木曽開田工場の運営を開始。さらに、20年夏には富士山工場を操業予定と、事業拡大が続く。「当社の商品は、他社さんからは『こんなの、どこで売るの?』と聞かれるような変わった商品ばかり。自動販売機やコンビニで手軽に買えるような安価な商品は他社に任せて、当社は贈答品や地域の特産品となる地サイダーなど、思い出に残る商品を目指して物づくりをしています。仮に商品名が思いだせなくても、飲んだときの記憶や思い出とともによみがえってくる商品を、今後100年先もつくり続けていきます」。同社は老舗メーカーの強みと、友田氏が実現したクリエイティブできめ細やかな商品開発で躍進する。その姿は、地方の老舗中小企業の希望となるだろう。


株式会社友桝飲料
代表取締役社長友田 諭氏

1975 年、佐賀県小城市生まれ。九州大学農学部食糧化学工学科を卒業し、福岡市の老舗総合商社に入社。2年後に家業の友桝飲料に戻り、2001 年、25 歳の若さで代表取締役に就任。地方の一般的な零細企業を、クリエイティブな高収益企業へ変革した。2018 年、稲盛経営者賞を受賞。019 年、SBI 大学院大学MBA 取得。


Company Profile
株式会社友桝飲料


所在地 佐賀県小城市小城町岩蔵2575-3(本社)
設立 1966 年(創業1902 年)
従業員数 160 名(連結)
http://www.tomomasu.co.jp/

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