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建築・建設・工事 × 後継者による事業革新
権限委譲と若手育成で挑戦する組織へ

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1979年に設立された株式会社サンワカンパニーは、住宅設備機器や建築資材の企画開発・輸入・販売で業績を伸ばしてきた企業。2000年には他社に先駆けて、ネット通販に乗り出し成功を収める。建材をネットで売るなど誰も考えなかった時代に、創業者・山根幸治氏は販売方法を大胆に変えることで、売り上げを伸ばした。二代目を承継した山根太郎氏は先代が築いた基盤の上で更なる改革を行い、業績を急伸に導いた。業界の慣習を打ち破ることにより成功を収めていった過程を詳しく取材した。

幼少期から独立志向の教育後を継ぐ意思はなかった

「父と同じ道を進みたくないと思っていました。コネで入社したと言われるのがイヤで、大学卒業後、商事会社を選びました」。二代目社長の山根太郎氏は長男ではあるが、幼少期から後を継ぐ意思はまったくなかった。大学卒業後は異業種である伊藤忠商事に入社。繊維部門に配属され、2年間大阪支社に勤務。予算管理や経費改善などを担当した。「幼い頃から父に『一国一城の主になれ』と言われてきましたので、しばらく商社で経験を積んだ後は、私も自分の会社を立ち上げたいと考えていました」。先代社長は家庭では厳しい人だった。約束に1分でも遅れたら叱られ、殴られることもあった。しかしそれは、将来どんな道に進んでも困らないための教育だったと振り返る。「20歳の誕生日に父からいきなり150万円を渡されたことがあります。『今後一切金を渡すつもりはない、その金で自分に投資をしろ』と言われました。

独立心を身につけろという教えだったのだと思います」。父の仕事ぶりを垣間見ながらも後継ぎになることは考えなかった山根氏。しかし、一本の電話が転機となる。「伊藤忠で上海に赴任していた12年に突然父から電話がありました。父は末期の膵臓がんで、もう長くないのは分かっていました。その父から『やっぱり、お前しかおらん』と言われたのです。この時初めて事業承継の話が出て驚きました」。それまで父は後継ぎのことを口にしたことは一度もなかった。すぐに帰国した山根氏は、「業界に詳しい社員は山ほどおる。だけど会社を変えていくには、お前みたいなワケのわからんやつが必要なんや」と病床で告げられた。「継ぐ準備はしていないし、アパレルのことしかわからないと伝えたら、父は『それでもええ』と答えたのです」。3日後、先代は息を引きとる。59歳の生涯だった。葬儀では長男の山根氏が喪主を務めたが、社員の顔はほとんど知らず、先代も常々「息子を会社に入れない」と言っていた。そのため取引先からは「あれが長男か」と奇異な目で見られた。

挨拶もしない社員たちを見て組織改善に取り組む

父の急逝後、後を継ぐ決心をした山根氏だが、家業の決算書を見ると業績が安定していた。そのため、しばらくは古参社員に社長業を任せ、5年くらい外部で勉強しようと考えていた。しかし、社内の空気が険悪になっていることを社員から知らされ、14年3月31日に伊藤忠を急遽退社。翌4月1日に海外商品部の部長として入社する。だが、そこには大変な事態が待ち受けていた。「入社初日から唖然としました。私から挨拶をしても誰一人返事をする社員がいない。社員同士のコミュニケーションが最悪で社員は名前ではなく、3階とか4階といったフロア名で呼び合っている。社内の険悪さは想像以上でした」。社内に不信感が蔓延していることを察知した山根氏は、危機感を覚え、組織を根本から変えていかねばならないと決断したのである。こういった状況下で社長に就任。まず取り組んだのが徹底した組織改革だつた。挨拶の習慣をつける、ゴミを拾う、時間は厳守する。

こんな些細なことから手をつけていった。「当時は現場で決裁できるのは10万円までと決められており、100万円以上の案件は社長の判断を仰ぐ状態でした。これでは社員が業務の善し悪しを判断できなくなります。そこで権限委譲を行い、3000万円以上は取締役会、1000万以上は社長、それ以下は部長決裁に改めました」。そして年間2億円の赤字を出し続けていたシンガポールのショールームを閉鎖。損失を計上した結果、株価は下落。「最高9140円だった株価が1500円まで下がったのです。ネットで叩かれましたが、予想していましたので平気でした」。他にも、自社ビルを売却し社員がワンフロアで顔をあわせられるように本社を移転する。これらの積み重ねにより改革が進んだおかげで、就任時は約69億円だった売り上げが、2年後の16年には82億円にまで伸び、同社の過去最高益を記録する。そして19年には売り上げが100億円を突破した。

業界の常識を覆した大胆な販売戦略

16年、山根氏は大きな決断を下す。東京青山に450坪の大規模なショールームをオープンしたのだ。「6億円の費用を投じました。前年度の営業利益が4 億6000万円でしたので、社員は猛反対です。しかしショールームは、実際に製品を見て触れて当社の世界観を知ってもらう大切な場所だと考え断行しました」。一般にネット販売には「20万円の壁」があると言われている。20万円以上の商品は、実物を見て確認しないと購入に至りにくい。だからこそショールームが不可欠だと考えたのである。「結果的に首都圏での売り上げが2倍になりました。お客様の提案や不満を直接聞けるので、商品企画に役立っています」。サンワカンパニーが扱っている住宅設備機器は、これまで施工業者が選んだ物を設置するのが業界では当たり前になっていた。しかし山根社長はその慣習も断ち切っていく。「お客様が自分で選んだ商品だからこそ愛着を持ち長く使っていただけます。


ですので中間業者を通すのではなく、直接エンドユーザーに提供できるように販売方法を変えました」。施主自らが建築資材や住宅設備機器を指定して建築業者に施工を依頼することを「施主指定」と呼ぶが、現在、同社の売り上げの多くは施主指定が占めている。業界では異例のことだ。「当社の競合は通常のメーカーがほとんどです。彼らは流通商社に製品を売り、そこから一次問屋、二次問屋へと渡る。そうすると製品価格に流通コストが上乗せされてしまいます。品質が同じなら同じ価格のはずなのに、流通経路によって価格が変わってしまう。これはお客様にとっては不可解です」。こういった顧客の不満や疑問を解消して信頼を獲得するために、ネットには価格をしっかり表示している。しかもOEMにより海外で自社製品を製造している同社は中間マージンがない。そのため他社の同様製品より3〜6割程度、安く提供できるという。

中小建築業界では異例の新卒採用も開始

そして17年には念願の新卒採用を始める。中小規模の建築業界では、新卒は教育コストがかかるため経験のある人材を採用するのが長年の慣例になっていた。それを覆したいと考えたのだ。「これも社員からは猛反対されました。中途採用は前職の習慣にどうしても捕われてしまいます。しかし、新卒はまっさらの状態。企業文化をつくり組織を活性化させるためは、若い力がなくてはならないと思ったのです。社長就任2年目に最高益が出たこともあり、これなら新卒を入社させられると断行しました」。以来、年に6〜8名を採用。驚くことに毎年3000人を超える学生がエントリーしている。その理由は、同社は若いうちからチャンスを与え、活躍の場を広げているからだ。入社3年目になると新卒社員全員が半年間海外へ留学できる研修制度を設けており、副業も認めている。


その理由は普段とは違う業務を経験することでスキルアップやキャリアの選択肢を広げるためである。そして18年には世界最大級の家具見本市「ミラノサローネ」で、出展企業2000社の中から3社しか選ばれないアワードを受賞。この出展をきっかけに世界各国約2000社から取引の希望があった。「既存の流通を通さずにネットで建材を販売するというイノベーションを起こした当社は、業界の異端児と言われています。異端というのは、つまり王道ではないということです。サンワカンパニーを王道に乗せるために、まずは東証1部に上場したい。ゆくゆくは家一軒を丸ごとネットで販売するビジネスを確立したいと考えています」。在任中に年商1兆円を目指すと断言する山根社長。海外事業を強化し、世界市場への進出を進めている。

株式会社サンワカンパニー
代表取締役社長山根 太郎氏


1983 年奈良県生まれ。関西学院大学卒業後、2008年伊藤忠商事株式会社に入社。繊維部門に配属される。上海駐在を経て、12 年にサンワカンパニーへ。14 年代表取締役に就任。18 年には世界最大規模の家具見本市「ミラノサローネ国際家具見本市」で最も優れた出展企業に贈られるミラノサローネアワードを、アジアの企業で初めて受賞。著書に『アトツギが日本を救う』がある。

Company Profile
株式会社サンワカンパニー
所在地 大阪市北区茶屋町19 番19 号アプローズタワー21 階
設立 1979 年8 月
従業員数 176 名
https://info.sanwacompany.co.jp/

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