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製造 × 後継者による事業革新
「守る」と「変える」相反するベクトルを両立させる

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山本海苔店は江戸時代創業の老舗。長寿の秘訣は、「海苔文化を守り続ける」経営姿勢にある。その経営姿勢と収益性をどう両立させるかーー。この課題に立ち向かうのは、将来、七代目山本德治郎を襲名することが期待されている山本貴大専務取締役。様々な壁に突き当たり、乗り越える過程の中で、後継者としての「覚悟」はより深まっていくのであった。

すべての選択は「七代目」を継ぐために

山本海苔店の始まりは江戸時代の嘉永2年(1849年)、初代の山本德治郎が日本橋室町に開いた店にさかのぼる。その後約170年間にわたり、二代目から五代目が、味附海苔の発明や形の統一規格化、海苔の養殖技術、全国の百貨店への拡販などに取り組み、海苔業界をリードしてきた。貴大氏は1983年、現社長である六代目の長男、やがては山本海苔店の七代目を継ぐ跡取り候補として生まれた。祖父である五代目や、実父にあたる六代目からは、「山本海苔店を継ぐように」とは一度も言われたことがなかったが、跡取り候補に対する周囲からの期待を感じながら育った。子どもの頃、母方の祖父に、「将来はサッカー選手になりたい」と言ったことがあるが、その時は「何を言ってるんだ、とんでもない」と叱責されたと言う。父親は、日本橋で家族で外食した後、「俺は店(山本海苔店本店)に寄って行くけど、ついてくるか」と貴大氏に声をかけることがよくあった。家業を意識させ、将来の後継者としての自覚を持たせるための父親の計らいであり、山本海苔店に代々受け継がれてきた、後継者育成の一幕だった。

そんな環境から、自然と後継者としての意識が芽生えた。貴大氏は「ある意味生まれる前から覚悟があったので、すべての選択は、七代目を継ぐためにどうあるべきかを考えて決めてきました」と語る。ちょっとしたことだが、小学生時代クラス委員に立候補し、中学校でサッカー部のキャプテンを経験したことも、「いずれ会社を率いることになる自分には、リーダーシップを身につけることが必要だと考えたから」と振り返る。

老舗を継ぐことの重みを再認識した仕入部の経験

貴大氏は、大学を卒業すると、05年、大手都市銀行に入行し、法人営業に従事した。これも七代目になるための選択だ。「金融を選んだのは、山本海苔店の経営を引き継いで行くためには、お金まわりはとても重要と考えたからです」。約4年の銀行勤務後、08年、山本海苔店に入社、最初に配属されたのは仕入部だった。同社における仕入部とは、後継者が必ず最初に経験しなければならないという特別な意味を持つ部門である。


五代目も六代目も同じ道を通ってきた。海苔の仕入れは各漁連での入札制で行われ、同業他社の入札価格をはじめ、海苔生産や業界の全体的な知識や慣習が身に付く。さらに、海苔の収穫高など供給的側面と、年間の商品企画や利益計画など総合面における経営者的視点が備わる。後継者育成に最も適した部門なのだ。仕入部にいた頃、貴大氏の後継者意識に大きな影響を与えた出来事がある。その年の海苔の仕入れ単価が前年よりも安くなったことを受けて、「よかったですね」と何気なく言った貴大氏のひと言を、当時の仕入担当取締役は真っ向から否定してきたという。いわく、「海苔業界のリーディングカンパニーである山本海苔店が、こんなに安く買ってはいけません。業界に未来がなくなります」と。「衝撃的な言葉でした」と貴大氏は振り返る。銀行員であった貴大氏にとって、営利企業の最大の目的は「利益を出すこと」だと当たり前のように考えていた。しかし山本海苔店では、それだけでは許されない。


利益の追求はもちろんだが、それ以上に、「海苔の生産や文化の存続」が最大の目的であり、それこそが同社が家業を長く続けてきた秘訣だった。老舗であり業界大手というポジションにある同社を継ぐことの重みを再認識した経験だったという。仕入部で学んだ後、貴大氏は海外事業分野のおむすび事業に転属する。当時の貴大氏には、「社内のさまざまな事業を経験しておきたい」という意識と同時に、「急速に進むグローバル社会で生き残っていくために、新たな老舗経営を模索していかなくては」という焦りにも似た目的意識があったという。その後、中国・上海やシンガポール、台北などで海外事業に携わり、14年、取締役営業本部副本部長に就任した。

経営理念を明文化することで動き始めた社内改革

山本海苔店は、五代目の祖父が社長を務めた1960年代に、百貨店での販売で事業を拡大し、その後も、百貨店での販売が同社の売り上げの大半を占めてきた。しかしバブル崩壊以降は30年以上も、売り上げの微減状況が続いていた。現状を脱却するためには、新しい販路の開拓や、価格帯にバリエーションを持たせた新商品開発も急務だ。その必要性を経営陣や現場スタッフに繰り返し訴えたという。ところがなかなか受け入れてもらえないし、話が噛み合わない。誰に聞いても「今のままでもいい」と言う。「海苔の生産や文化の存続」が重要なのは間違いないが、事業の収益性も大事だ。何一つ変わろうとしない会社の空気に貴大氏は危惧と焦燥を感じはじめていた。


「だけど、そのままでよいわけがないんですよ」。今、会社を改革しなければ、それこそ将来がなくなる。改革を進めるのは七代目である自分しかいない、と決意した貴大氏は一計を講じた。山本海苔店には、創業者や二代目、三代目の遺訓や精神的な支えとなる言葉の数々が言い伝えられている。だが、人によって解釈が異なったり、行動指針にまで落とし込めなかったりと、不徹底でもあった。海苔業界の老舗でありながら、「経営理念」が明文化されておらず、徹底されていないことにかねてから違和感を感じていた貴大氏は、ここが突破口と考えた。取締役に就任した最初の年の社員会議の席で、30年以上減少が続いている業績を発表し、翌年に前年比売り上げをプラスにすると宣言した。さらに、「経営理念」を作ることを提案した。社員たちでグループディスカッションを行い、半ば強引に作り上げた経営理念は「我々は世界一の海苔屋として誇りを持ち、より多くのお客様に よりおいしい海苔を中心とした日本文化を 永きに亘って楽しんで頂くことで社会に貢献します」というものだ。経営理念をみんなで作ったことの効果は徐々に現れた。


販売方法の改善や販路の開拓などの提案も、以前は「今のままでいい」の一言で否定されていたものが、「経営理念に照らして、どう判断するか?」という基準ができたことにより、徐々に貴大氏の提案が通るようになっていった。翌年、微増ではあるが、30 年来の前年比プラスの売り上げを達成した。

七代目経営者としてのさらなる挑戦

現在、同社のホームページに載っている経営理念はバージョンアップを経て、「より多くのお客様に、よりおいしい海苔を楽しんで頂く」となっている。海苔を仕入れて売るだけではなく、広く一般の人々に、海苔のある生活や海苔の文化をこれからもずっと楽しんでいただきたいという願いが表されている。このことは、創業以来、六代にわたり、継続して引き継がれてきた山本海苔店のスピリットであり心の支えだ。経営者のみならず、幹部社員、一般社員、店舗スタッフ、さらには、山本海苔店に海苔を納入している生産者の心にも届けたいという。この経営理念は、貴大氏により、ようやく明文化・見える化された。七代目としての役割を一つ果たしたと言えるだろう。この経営理念に基づき、新しい事業展開が始まっている。空港やサービスエリアでの販路開拓も進んでいる。そして今、貴大氏が構想しているのは、海苔を使った外食事業への展開だ。「お客様自身で、パンや具材、味付けを選び作るサンドイッチのように、海苔と酢飯、具材を選んでもらって巻いて出す、セミオーダー方式の巻き寿司を提供する店を出店したいと思っています。」時期は2020年、日本橋の再開発が始まる時期を想定して
いるという。「『おいしい海苔文化の中心で、おいしい海苔文化を守る』のが私たちの使命。文化を守り、伝えることが大事。そしてこの文化を守ってこそ、家業も続いていくことになると思います。」

株式会社山本海苔店
専務取締役山本貴大氏


1983年生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、2005年東京三菱銀行(現三菱UFJ 銀行) 入行。08年株式会社山本海苔店に入社。14年取締役営業副本部長就任。16年専務取締役営業本部長就任。17年専務取締役管理本部長兼営業本部長就任、現在に至る。

Company Profile
株式会社山本海苔店

所在地 東京都中央区日本橋室町1-6-3
創業 1849 年(嘉永2年)
従業員数 300 名
https://www.yamamoto-noriten.co.jp/


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