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製造 × 強い組織づくり
外国人の積極採用で品質向上と生産性向上を実現する

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株式会社三共製作所は創業から90 年、金属切削加工の分野において部品加工から組立てまでの一貫生産に取り組み、高品質短納期を実現してきた。バブル経済期の余波を受けた90 年代の超人材難、同社はいち早く日系ブラジル人の雇用を実現、その後も外国人採用の枠を広げてきた。現在145人の従業員の約6割が外国人労働者であり、その国籍もベトナム、ミャンマー、タイ、ネパール等多岐にわたっている。その先進的な取り組みについて、代表取締役CEO松本輝雅氏に聞いた。

誠実なベトナム人、ハイスペックなブラジル人

業績好調、需要の回復はありがたいが、地方の中小企業にとって、それがイコール人材難につながるのは痛し痒しだ。それまでの陣容のまま長時間労働で乗り切るか、高齢者や女性の活用にシフトするか――各社様々な手立てを検討するなか、自ら積極的に外国人労働者の採用を推進し、他社にもそれを強く勧めるのが、株式会社三共製作所(東大阪市)の代表取締役CEO、松本輝雅氏だ。日本の外国人労働者は2017年でおよそ127万人と、5年でほぼ倍増している。昨年の法改正により、その数はさらに増えるだろう。

製造業においては、さらにその4割がいわゆる「技能実習生」となる。外国人技能実習制度には長時間労働を強いるなど受け入れ側の法令違反も絶えない。今回の取材時も、ベトナム人実習生からの告発を受け、批判的なテレビ番組が放映されたばかりだった。この話題に触れると松本氏は顔をくもらせ、「とても残念なこと。我々が外国人の活用を推進するのは彼らが優秀だから、なんです。安く上がるからではない。

それを理解している会社なら、こんなことは起こらないはず」と話す。同社が初めて外国人を採用したのは1980年代。バブル経済はピークを迎え、好景気による採用難が続いた。日本人を採用しても満足に定着しなくなったことに悩んでいた松本氏は、外国人労働者の中でも特に日本への〝デカセギ〞に熱心であった日系ブラジル人に着目し、人材紹介会社を通じ、まず1名を採用したのである。90年代には入国管理法が改正され、厚生労働省が日系ブラジル人採用の支援事業を開始するが、それに先んじてのことだった。


「初めての採用でしたから、まったく心配がなかったといえば嘘になります。通訳も雇いましたが、その通訳が技術用語、専門用語に必ずしも通じているわけではなくて(笑)。ただ、うまくしたもので、設計図の図面を見れば何となく意図が通じるものなんです。翌年、新たに採用したブラジル人には、同じブラジル人社員の先輩が、通訳をかって出てくれるようになりましたし」。

何よりもその優秀さに松本氏は舌を巻いた。ブラジルでは当時軍事政権の崩壊とともにハイパーインフレが起こっており、労働者たちはいくら働いても満足な賃金が得られない状況だった。弁護士、医者、大学教授といったハイスペックな人材ほどその不満は大きく、それだけ〝デカセギ〞に積極的だった。「当時バブルに浮かれていた日本人とは比較にもなりません。少なく見積もっても普通の日本人の3倍のパフォーマンス。『5ヶ国語話せる』という者もいましたね。また、稼ぐという目的が明確なので、非常に貪欲に働く。賃金が割増になる残業や深夜勤、休日出勤を自分から希望してくるのです。


こちらも、高い賃金を支払ってまったく惜しいと思わなかった。『もう休んでくれ、これ以上働くと身体を壊す』とブレーキをかけなければいけないほど」ただ、日系ブラジル人の採用は、長くは続かなかった。かれらの優秀さに着目した大手企業がすぐに大量採用を始め、人材が回ってこなくなったのだ。松本氏がそれまで利用していた人材紹介会社に「何とかならないのか」と苦情を言うと、相手は「実は新たにベトナム人採用の仲介を考えている。視察に行くので同行して意見をもらえないか」と答えた。

松本氏は同意し、ともにベトナム南部の都市、ホーチミンへ赴いた。「この時私は、心底ベトナム人に惚れ込んでしまいまして」。ホーチミンにはベンタイン市場という、食料品や日用品が雑多に並ぶ市場がある。松本氏は視察の傍ら立ち寄ったここで、日本への土産にベトナムコーヒーを購入しようと思い立った。「そうしましたら50円程度の品なのに、売っていたお婆さんはこちらが恐縮するほどあれもこれもと〝おまけ〞をつけようとするんですね。

値引きもしてくれました。親切というのか真面目というのか、儲けよりも相手のために何かしてあげたい、役に立ちたい、という心を強く感じました。日本人が失ってしまったような人としての純粋な思いやりが、ここにはまだ残っていると」。その後も同様の体験を重ねた松本氏は、同行した人材紹介会社の社長に意見を求められ、ぜひベトナム人紹介事業を進めるべきだと力説。ベトナム工科大学での採用説明会には自らも同席した。200人以上の学生の熱意に満ちた様子を目の当たりにし、その場で2名の正社員採用を決めたという。


「みんな目を輝かせて日本へ行きたいと言ってくれるんですね。話を聞いて、何となく『この人なら大丈夫』と勘が働く人を選ばせてもらって」。この時採用したうちの1人は今も同社に在籍し、入社19年のベテランとなっている。ベトナム人労働者は総じて温和で控えめな性格が日本の文化や風土になじみやすく、加えて緻密な手作業に長け、仕事にも熱心に取り組む。同社では顧客1社あたりの依存度を引き下げるべく、多数の顧客を相手に多品種少量生産を行うロングテール政策をとる。


これを実現する生産性向上策として、それぞれの製品に求められる〝技術〞を切り出し、同じ技術を用いる製品はまとめて生産するという複雑な製造体制を構築しているのだ。自ずと従業員は作業者1人で常時数台の機械を動かす多能工とならねばならないが、採用した外国人労働者は、これに見事に適応し、要求された品質を確実に実現するのだ。検品の目も鋭い。


「一時パナソニックに納品していたことがありますが、その間、検品ではねられたことは一度もありませんでした。出荷前の、内部検品の品質が高かったからです。ちらっと一目見ただけで、『社長、コレ、キズデスネ』と。こちらは拡大鏡で覗き込んでじっくり見て、『えっそうか?……そう言われればそうだな』と。そのくらい微かな傷なんですが、彼らはわかる。視力もいいし、注意力が高い。結局ものづくりが好きなんだろうと思いますね。私はものをつくる人に悪い人はいないと思っていますが、結果的にそういう人を採用していた。勘が働くというのは、ものづくりを志す者同士、通じるものがあるということなのかもしれません」。こうした成功体験に基づき、以後、三共製作所は広くアジア、ヨーロッパ、アフリカ……と分け隔てなく人材を受け入れるようになっていく。

地域からの反発も明るさで溶け込む

日本人従業員からの反発は同社の場合、これまで一切起こっていないという。ただ、寮を設けた地域の住民からは、当初はなかなか受け入れられなかったようだ。同社では一戸建てを寮として借り上げ、外国人労働者を2〜3人ずつ住まわせている。採用を本格化した当初は、彼らに関し夜遅くまで騒いでいる、ゴミ出しのルールを守らない、においがする等の苦情が相次いだ。

「もちろん確認しましたが、まったく実態のない苦情でした。生活態度はきちんとしたものでしたし、自分から『おはようございます』とにこにこ挨拶するような人懐っこい子ばかり。でも、当時は外国人と言うだけで警戒されていた」。物干しにかけた洗濯物が燃えたこともあったという。放火を疑ったが、波風は立てられなかった。当人たちも根気強く笑顔の挨拶を続けるうちに、やがて挨拶を返してくれる住人、おすそ分けをしてくれる住人などが増えてきた。「明るい子が多いんです。共通語になる日本語で、まるで10代の学生のように無邪気におしゃべりしている。実習生は働ける期限が決まっていますが、みな貯金がたくさんできた、休日にUSJに行った、富士山を見た、と喜んで帰っていきます」。

三共製作所では同業者から外国人採用について質問され、アドバイスするうちに、自身も外国人技術者の紹介やインターンシップの斡旋、人材派遣等の事業を営むようになった。近年は日本語学校も開校し、松本氏も教壇に立つ。留学生のうち、希望者にはアルバイトも紹介する。「外国人採用を迷っている経営者の方には、ぜひ思い切ってやってごらんなさいとお勧めしたい。日本人の8割も働いてくれれば上出来、なんて思っていたら、その優秀さにびっくりしますよ」。

株式会社 三共製作所
代表取締役CEO
松本 輝雅氏



1955 年大阪市生まれ。1979年、関西学院大学経済学部卒業。同志社大学大学院ビジネス研究科(MBA)2008 年修了。同志社大学大学院総合政策科学研究科博士課程後期2014 年修了。(株)大正代表取締役、日本語学校「BASIC 日本語学院」理事長、精密金属部品製造協同組合理事を務める。

Company Profile
株式会社三共製作所

所在地 大阪府東大阪市鴻池町2-6-37
設立 1955 年
従業員数 140 名
http://www.sankyo-mfg.co.jp/

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