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製造 × 後継者による事業革新
創業精神を受け継ぎ 会社の存在理由を問い続ける

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明治初期から続く横浜を代表する老舗印刷企業、株式会社大川印刷。同社は、直接的・間接的CO2(二酸化炭素)の排出量ゼロ化を達成した「環境印刷」で新たな道を歩みはじめている。チャレンジと伝統の保持、どちらをも実現させている老舗の根幹には何があるのか。代表取締役の川哲郎氏にその真髄をうかがった。

印刷黎明期に横浜で創業老舗を襲った数々の多難

「環境印刷」という新たな取り組みで、環境大臣表彰やジャパンSDGsアワード・SDGsパートナーシップ賞など数々の賞を受賞している大川印刷(神奈川県横浜市)は、横浜を代表する老舗印刷会社だ。現在、代表取締役社長を務める大川哲郎氏は、母親の幸枝氏から社長の座を継いだ六代目だ。

同社は現在、エコ用紙や石油系溶剤を一切含まないノンVOCインキを積極的に使用。また、印刷により排出される年間の温室効果ガス(CO2)の全量を、住宅太陽光パネル発電事業や北海道下川町のバイオマス事業、山梨県の温暖化対策プロジェクトなどに投資することで打ち消す(カーボン・オフセット)活動を行っている。

環境意識の高まりに伴い、近年、環境対応型の印刷物を依頼する顧客が増えている。同社ではこうした新たな顧客づくりを実践している。大川印刷の創業は明治14(1881)年にまでさかのぼる。創業者の大川源次郎氏は、薬種貿易商の家に生まれ育ち、幼少の頃から輸入薬品に関心を抱いていた。24歳の時、薬品のラベル印刷に商機を見出し、当時ではまだ珍しい高価な印刷機をドイツとイギリスから取り寄せ、大川印刷を起業する。

日本初の日刊新聞である横浜毎日新聞が創刊されたのが明治4(1871)年、本木昌造が長崎に創立させた我が国民間初の洋式活版の企業、新町活版所が正式にスタートしたのが明治3(1870)年であることを考えると、かなり早い段階での印刷業への進出、横浜では初となる試みだった。近代化を進める当時の日本において、印刷業はインフラ産業の一つ。大川印刷はいまでいうソーシャル・ベンチャーだったと言えるだろう。

長い歴史の中、時代の影響を受けることも数多くあった。日清・日露戦争、関東大震災、東京大空襲、オイルショックなど、その都度、同社は甚大な被害を受けつつも、事業を継続してきたという。大川氏が家業を継ぐことを明確に意識したのは17歳の時だった。「父が私と兄を座らせて後継について話をしましたが、兄は『自分は継がない』と明言したのです。そこで私が継ぐことをその場で父と約束しました」。いずれ自分が継ぐことへの覚悟は決まっていたが、状況は急展開する。

2年後、父親、英郎氏(四代目)が61歳の時に、医療ミスにより急逝したのだ。当時、大学生で経験もない大川氏では現実問題、すぐに承継できない。苦肉の策として、母親の幸枝氏(現会長)が五代目として継いだ。大学卒業後、大川氏は従業員300名ほどの東京の中堅印刷会社に就職し、一通りの業務を経験する。「現場の仕事から生産管理、営業に至るまで3年間みっちり学ばせてもらいました」。その後、大川氏は家業を継ぐべく同社に戻り、2005年に代表に就任する。

凡事徹底と基本理念の再解釈

大川印刷に入社してからは驚きの連続だった。東京の印刷会社に勤務する中で抱いてきた理想の印刷業と現実があまりにもかけ離れていたのだ。当時の従業員は遅刻は当たり前、挨拶もろくにしない人がいた。「人を変えるにはまずは自分が率先して動かなければいけない」と感じた大川氏は、凡事徹底を旨として、自ら動き出す。社長室室長という立場ながら早朝から出社し、出社してくる若い社員に挨拶が返ってくるまで声を掛け続けた。


スリッパを揃えたり、トイレ掃除も行った。「室長、それは結構です」と言われるほどの徹底ぶりだった。大川氏への反発も少なくなく、辞めていった古参社員もいたが、やがて凡事徹底は徐々に社員の間に浸透し、社内の雰囲気を変えていく。「それでも社員の意識が変わるのには、10年くらいはかかりました」という。他にも社内改革のさまざまな方法を模索していったが、「ほとんどが上手くいなかった」という。

だが、この時に生まれ、現在に残ったのが「大川スピリット」と呼ばれる5つの指針だ。「お客様を大切にする心」「元気な挨拶から」「持続可能な発展をめざして」「チャレンジする心」「最高の品質を求めて」(2017年改訂)。ごく基本的な項目が書かれたこの一枚の紙を、現在は全社員が持ち歩いている。「できていなかったことをあえて明文化したものです。

いまも油断せずに意識していこうという意味を込めて全員に持たせています」。「大川スピリット」にも共通するのが、基本理念の捉え直しだった。「情報産業の中核として信頼に応える技術力と喜びを分かち合える『ものづくり』の実現」という基本理念は、先代の幸枝氏の時につくられたものだ。

この理念の本質について、大川氏は社員たちと徹底的に話し合い突き詰めていったという。「喜びを分かち合う対象は誰なのか?」「ものづくりとは何なのか?」。議論を重ねていく中で、分かち合う対象は次第に「職場内」から「顧客」へ、そして「地域社会」へと変化していった。「ものづくり」は、単なる技術から、人との関係性、社会との関係性を含んだ「ことづくり」へと再解釈されていった。現在同社が重視するCSR(企業の社会貢献)活動や「環境印刷」はここから誕生した。

その初期の頃、ある社員が大川氏に「社長、私は印刷が好きなんです。印刷をさせてください」と言ってきたという。印刷の業務が忙しく、CSR活動を両立することはできないと言うその社員に、大川氏はこう答えた。「印刷がしたいならCSRをやりなさい。『印刷したい』と言って、仕事がもらえるわけじゃない。お客様の中には印刷は高いから頼まないという人もいる。でも、CSRを通して印刷が必要だと感じた人はうちに頼んでくれる。

CSRとは〝ものづくり〟の前に〝ことづくり〟をすることなんだ」と。例えば、お薬手帳を「うちで印刷させてください」と営業するのはものづくりだ。しかし、増加する在日外国人が不自由なく医療を受けられるためのCSR活動の結果、多言語対応のお薬手帳が生まれれば、それはことづくりになる。こうした理解が進むにつれ、最初はCSRに否定的な見方をしていた社員たちも、自らすすんで参加していく積極的な活動へと変わっていった。



すべての軸となるのは創業時から繋がる精神

ある本で読んだ「老舗は『死に店』になってはいけない」という言葉を大川氏は胸に刻んでいるという。「大川スピリット」に加え、新たにつくった7つの信条「クレド」にも、「歴史と伝統の上にあぐらをかかず日々の改善を大切に」と明記した。新しい挑戦をし続けることが重要だという思いは大川氏自身の信条でもある。同時に、そこには老舗であることの意義もある。「確固たる歴史があるからこそ、過去の信用・信頼に裏打ちされたイノベーションやチャレンジができるのです。これまでの歴史を踏まえたうえで自分たちが新たな歴史をつくり上げていくという喜びがあります」。百年以上前、創業当初の同社の新聞広告には「徒ラニ價格ノミノ競争ヲセザルハ大川印刷」の一文が中央に描かれている。

安易な価格競争を優先するのではなく、大川印刷は社会にとって価値のある印刷サービスを提供しているのだという、初代、源次郎氏の気概や自負が伝わってくるコピーだ。そして、環境問題から印刷に何ができるかを問うていく、大川氏の現在の経営姿勢とも相通ずるものだ。この広告を見つけた時、大川氏は「ああ、今の会社にもこの精神はきちんと受け継がれているんだ」と感動したという。

具体的な言葉として教わっていたわけではないというが、創業家という環境で生まれ育った大川氏に、自然と創業時の精神が育まれていたのだろう。「企業は何年続こうが、必要とされなくなれば消える。老舗も同じ。だからこそ、地域や社会に必要とされる企業にならなければならない。現代社会が抱える問題に向き合うことで、自らの持つ技術を活かす方法を見出し、より企業価値を高めていきたい」。代々の経営者とその時代の社員たちが、社会から必要とされる会社を目指し、社会に価値あるサービスを提供しようと努めてきた。日々の、その積み重ねこそが、大川印刷130年の歴史を築き上げてきたと言えるだろう。

株式会社 大川印刷
代表取締役社長
大川 哲郎氏


1967 年神奈川県横浜市生まれ。幼少期より自然を愛し、環境問題にも興味を持つ。大学入学直後、先々代の父親・英郎氏を医療ミスで失う。卒業後は3 年間東京の印刷会社での勤務を経て、大川印刷へ入社。2005 年代表取締役社長就任。社会起業家やCSRなどの調査研究を積み、本業を通じて社会課題解決を行う「ソーシャルプリンティングカンパニー®」というパーパス(存在意義)を掲げ、「環境印刷」に取り組んでいる。


Company Profile
株式会社 大川印刷

所在地 神奈川県横浜市戸塚区上矢部町2053
T E L 045-812-1131
創立 1881 年11月9 日
従業員数 39 名
https://www.ohkawa-inc.co.jp/

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