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製造 × 後継者による事業革新 「足袋製造」の伝統と技術を受け継ぐ全く新しい「ランニング用足袋」で一気にブレイク
父にも極秘で進めた新商品の開発で「社長」の重圧と責任を負う覚悟が据わった

きねや足袋株式会社

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日本の伝統である「足袋」は、和装と、土木建築や造園系の作業に用いられる一方で、一般的に身に付ける機会は少ない。多くの伝統産業のように、足袋製造業は斜陽産業のひとつであると捉える向きも少なくない。しかし、足袋をランニングシューズ「無敵」として生まれ変わらせた、きねや足袋株式会社(埼玉県行田市)には、足袋を斜陽産業のままにしておかない気概がある。「無敵」の生みの親である同社社長の中澤貴之氏は、足袋メーカーの家業とどのように向き合い、受け継いだのか。三代目、41歳の若き社長の思いをうかがった。

足袋の街・行田で創業し販路拡大や海外生産を推進
 
江戸時代から足袋の名産地として知られる埼玉県行田市。元々木綿の産地で、五街道のひとつである中山道が近くを通っていたことから、旅行者や作業のための足袋づくりが盛んになったという。

1938(昭和13)年には、全国生産の約8割、8400万足が行田で作られた。きねや足袋の創始者・中澤政雪氏は、地方では珍しかったアイスクリーム販売で財をなし、行田名物の足袋づくりに参入。やがて49年、政雪氏の下で働いていた息子の武男氏が社長を継ぐと、それまでのように下請けとしてではなく、自社製の足袋を開発することに注力する。
 
洋装化が進み足袋の需要も先細りと思われた時代、武男氏は市場開拓に意欲的に取り組んだ。また自社製の足袋を熱海の芸者に無償で配った。日本全国から集まっている彼女たちに配布することで、帰省の際に全国各地に広まることを狙った、いわば口コミマーケティングであり、当時としては斬新な取り組みだった。

武男氏の狙い通り、中澤足袋の名前は全国に知れ渡っていった。49年、武男氏は「中澤足袋有限会社」を設立する。また、建築現場などに欠かせない地下足袋も製造を始め、高度成長期の建築ラッシュを背景に売り上げを伸ばした。和装用の白足袋と作業用の地下足袋は、現在も同社の売り上げの約85%を占める二本柱となっている。

90年、武男氏の後を継いで社長に就任した憲二氏は、セミオーダーや目新しいカラー足袋など、新しい試みの商品を次々に製造。国内で縫製を担える作り手が減少傾向にあるため、ベトナムに工場を作り、生産拠点の確保をいち早く進めた。そして2014年からは、創業者から三代目、創始者から数えると四代目の中澤貴之氏(41歳)が社長を務めている。


















 
足袋以外の事業を考える父に反発し、「新たな足袋」を模索
 
貴之氏は幼い頃から、きねや足袋の後継者として厳しく育てられてきた。父の憲二氏からは、マナーや対人関係の重要性など、社長業として必要なことを徹底的に叩き込まれた。厳しい父とは普通の親子のような会話も少なく、大学卒業後に考えていた他社での就職にも反対された。

「せめて入社の前に他の世界を知りたい」と中国の工科大学に留学。1年半の留学で様々なバックグラウンドを持つ人々とコミュニケーションを取るうち、「暗くて思いつめがちな性格が、すっかり明るくなりました」という。

一年半後に帰国し、同社に入社。02年、26歳のことだった。入社後に配属されたのは縫製作業。職人の技術を一から学び、3~4年務めた後、営業部門を6年ほど経験。現場の経験をじっくりと積んだ後に配属されたのは、たった一人だけの企画部。足袋業界の将来性を憂う父から「足袋以外の新しい商品を考案せよ」という、難しい課題を命じられての異動だった。

しかし貴之氏は「足袋をあきらめたくはなかった。作り手の現場を見てきたので、職人の思いも分かっていましたし、この技術を途絶えさせたくないという気持ちが強くありました」。涼しく感じる布地を使用した「冷感足袋」などの新商品を開発してはみたものの、数百足程度の売れ行きに終わった。

「和装や作業系といった従来のチャネルでは、たとえヒット商品が出たとしてもタカが知れている。今までにないチャネルを狙っていかなければ、足袋を作り続けることはできない。でも、それは一体どこにあるのか」。煩悶の続く日々に、突然かかってきた一本の電話が、同社を大きく飛躍させることになる。















 
 
人間本来の走り方に矯正するまったく新しい足袋の誕生
 
電話の主は高岡尚司氏。裸足でのフルマラソン日本記録保持者でもある元陸上選手で、鍼灸マッサージ師の傍ら、ランニング指導にも当たっていた。高岡氏の依頼は「裸足感覚で走れる陸上用の足袋が欲しい」という、当時、足袋製造業者が思いつきもしないものだった。

現代人の足は、歩きや走りの衝撃を吸収する、クッション性を高めた厚いソール(靴底)に大きく依存しているという。ランナーの多くが、かかとから着地する「ヒールストライク走法」で走っているために故障に悩まされがちだが、これは、クッション性を高め衝撃を吸収する、厚底シューズに頼っているからだ。足裏全体で着地する人間本来の走法でないばかりか、ランニングのスピードにも影響し、腰や膝を痛める原因にもなるという。

「本来人間は走るとき、つま先や足の真ん中で着地するものなんです。それはまさに裸足の感覚。その自然な歩き方や走り方をするために、欧米諸国ではつま先からかかとまでソールの高低差の小さい、ベアフットシューズが販売されていますが、まだまだマイナーな存在でした」。

自然とつま先や足全体で着地するような靴があれば、人間本来の走りになる。そこで高岡氏が着目したのが地下足袋だった。足袋の新たな方向性を模索していた中澤氏と、ランナーのための新たなシューズを求めていた高岡氏の期待が見事に合致。綿密な話し合いを重ね、試行錯誤を繰り返した結果、依頼から1年半後に生まれたのが、ランニング専用足袋「無敵」だった。

13年9月の発売当初は、売れ行きが振るわず、年末までに売れたのは500足程度。しかし、人間本来の走り方に矯正するベアフットシューズが一部で注目されていたこともあり、翌年の東京マラソンの際に販売ブースを設けたところ反響があった。

16年、同社を取材した作家・池井戸潤氏による小説『陸王』が発売されると、作中にランニング足袋が登場することもあって同社への注目が高まり、販売数は4000足に。さらに翌年この小説がテレビドラマ化されると、一気にブレイク。8000足と、前年の倍の売れ行きとなった。生産が追いつかないため販売を一旦休止し、今秋からの再開に向け増産体制を整えている。









足袋を愛する気持ちで父との対立を乗り越える

「無敵」をリリースした翌年の14年、貴之氏は社長職を引き継いだ。父は会長職に退いたものの、承継して半年頃までは言い争いが絶えなかったという。「不採算部門からの撤退や経費削減を要求する父と、いちいち衝突。怒りや矛盾はどこにぶつけていいのかわからないので『反抗ノート』に書き溜めていましたが(笑)、自分を客観視できるようになって役に立った」。

しかし、ある時の言い争いで「このセリフだけは決して父に言ってはいけない」と、自らに禁じていた言葉を言ってしまう。

「『もう俺が社長なんだから。失敗をしても、責任を取るのは俺だ』。これを言っちゃうと自分の負けだと思っていたし、父の言っていることも間違っている訳ではないとわかってはいましたが、最終的に言わざるを得ない局面が来てしまった。言うならばせめてと、感情に任せてではなく、努めて冷静に言いました」。

伝統産業である足袋製造業をこよなく愛するようになっていた新社長は、足袋の普及活動にも力を入れていきたいと思うようになっていた。売り上げの立たないものをすぐに切り捨てるのではなく、目に見えない利益を生むものとして捉えてほしい。この思いが通じたのか、以降、父は口出しをしなくなったという。

「若い頃の自分と父との関係では、いつも自分が感情的に噛み付いていただけだった」と貴之氏は振り返る。当時は、長年社長業を張ってきた父に対するリスペクトも、提案するための理論的な裏付けもなかった。今でこそ、先代の跡を継ぐ後継者に必要なのは、その両方だと考える。

「どうせ反対されると思っていたので、『無敵』プロジェクトは父にずっと黙ったまま進めました。発売日の前日にようやく打ち明けたんです。すると、『面白そうじゃないか。やってみれば』と言ってもらえました。こんなことなら、最初から話しておけばよかったと思いましたね」。

父からすれば、発売を翌日に控えていたためにそう言うしかなかったのかもしれないし、すべて知っていた上であえて黙っていたのかもしれない。経営に関して口出しされなくなった今、「社長としての自分を父がどう思っているのかわかりませんが」と貴之氏は言うが、祖父や父から受け継いだ大切な家業を息子に一任しているのが、先代からの評価であろう。同氏は今後、米国や欧州などで「無敵」のプロモーションにも注力していく計画だ。
 
三代目による経営のポイント
●家業の技術や伝統を、別の角度から活かせる商品を創る
●実の父親でも、社内では上司・社長として接する
●どんな人に対しても思いやりとリスペクトを忘れない
 
 代表取締役
 中澤貴之氏
 
 1977年、埼玉県行田市生まれ。大学
 卒業後、中国のハルビン工業大学に
 留学。2002年きねや足袋株式会
 社に入社。縫製、出荷、営業などを経
 て、10年企画部長に。13年に新商
「無敵」を発売し、翌年代表取締
役に
 就任。17年には行田足袋の伝
統工芸士に
 選ばれる。



 
 
Company Profile
きねや足袋株式会社
 設立 1949年(創業1929年)
 住所 埼玉県行田市佐間1-28-49
 TEL 048-556-6361
 資本金 1500万円
 売上高 7億3000万円
 従業員数 45名

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