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製造 × 後継者による事業革新 下請け・価格競争からの脱却を図る印刷会社の挑戦
突き抜けたデザインと技術の融合でオンリーワン企業になる

福永紙工株式会社

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紙の可能性を追求する「かみの工作所」プロジェクトを立ち上げ、MoMA(ニューヨーク現代美術館)デザインストアなどを通じアート志向のハイセンスな製品を世に送り出し続ける福永紙工株式会社。人気の〈空気の器〉〈テラダモケイ〉は合計で累計約70万枚を販売、多くのコアなファンを惹きつけている。郊外の、昔ながらの町工場という佇まいの同社が、その立ち位置を獲得するまでに、どのような道のりがあったのだろうか

業界の斜陽化に"つけこんで"新規プロジェクトを提案

福永紙工が手がけるものは、文具やギフト、インテリアといった従来のジャンルに当てはめ難い。たとえば、〈空気の器〉というシリーズがある。いくつもの繊細な切れ込みが入れられた、一枚の紙。それを使い手がそっと手で広げ、器の形に整えていく。紙の風合いや彩り、広げ方によって、最終的な形は様々だ。素材の変容そのものが面白く、成形の過程が、そのまま何かのアートを体験するようでもある。これら独特の製品群で同社と競合する企業は、ほぼ見当たらない。

創業は1963年。紙製品大手・株式会社山櫻を主要顧客とし、OEMで名刺や社封筒、ハガキなどを印刷するのが主な事業だった。名刺を刷れば納める箱も必要であり、福永紙工は印刷だけでなく、厚紙切断や型抜き、折り加工や組み立てと一連の紙器加工技術を初期から有し、それを生かした菓子パッケージ等の注文も受けていた。

アパレル商社に勤めていた山田明良社長が同社に入社したのは1993年。創業者・福永秀夫社長(当時)の次女、祥子氏(現・常務取締役)との結婚がきっかけだった。前職では企画、及び卸売営業を担当していた。バブル期と重なっていたこともあり、提案したものが売れに売れる醍醐味も味わった。

それが転職してみれば、元請けが入稿した版下をただ印刷し、納期通り納めることの繰り返し。余計な挑戦は不要。この、会社として180度違う姿勢に何より戸惑ったという。

「個人的に、もともとアートやデザインというものが好きなんです。これをどこかでこの会社に取り入れたいと思っても、そんな余地もない」。

郷に入らば郷に従え、の精神で十数年が過ぎた。忙しいうちはそれでもいいと思えたのだが、実際には、業績は緩やかに緩やかに落ち続けていた。

「業種的に、バブル崩壊だ、リーマンショックだといって、業績がドンと急落するものではないんです。ただ、昔は4月にはもう、翌年の年賀ハガキを印刷していました。名刺も、当時関東ではまだ、街の名刺屋さんがみんな山櫻さんの幟を立てていて」。

それがネットの登場以後、ハガキをやりとりする習慣は廃れ、名刺印刷もオンデマンド印刷とのスピード勝負、価格競争となっていった。消耗し、撤退していく同業者。徐々に、そして確実に縮小していく市場。じりじりとした危機感は、確かにあった。「そこにつけこんで僕はデザインを製品に取り入れたい」と福永社長に進言した。

デススパイラルから飛び出し、デザインで勝負する。そこに敵はほとんどいないと。と言って、初手から大がかりなことをするつもりはなかった。山田社長は知己のデザイナーたちを工場に招き、工程を見せて、これで何ができるか考えてほしいと呼びかけた。


敢えて頂上を狙う

クリエイターには皆、自分のなかに形にしたいものがある。そこに福永紙工の技術が活かせるなら利用してほしい、好きに料理してくれと提案したわけだ。

「銀行から融資を受けるとか、契約を結んで正式に外注というのではなく、クラブ活動とか実験室みたいな感じ」。

2006年、自社にもデザイナー側にもストレスのかからない形で、プロジェクト「かみの工作所」はスタートした。最初の作品、〈かみめがね〉は、やはり旧知のデザインディレクターが経営する店舗の一角で発表された。

「かみの道具展」と題したその展示は、デザイン界ではかなりの注目を集めたという。一方既存顧客にも、従来製品のデザインをブラッシュアップするよう提案したが、こちらの反応ははかばかしくなかった。2~3年ほど開発を続けたが、面白がってくれるのはデザインへの感度の高い、非常に狭い範囲の人々だけだった。

ところがここで山田社長は、本格的な自社ブランド設立を決意する。

「やるからには極端に振り切って行こう」。

元々デザイナーたちには、「売れるものを作ろうとは考えないでくれ」と要望していた。自社の生産規模でマスを相手にすることは初めからできない。ならば自分たちの「好き」を追求し、それに心から共感してくれる人を相手にしたい。それが100人中1人でもいれば成功だと。

08年、社長就任。その後本格的に打って出たのが、国際見本市、「インテリアライフスタイル」への09年、10年の連続出展だった。出展費用だけでも数百万円と中小企業には敷居の高い、世界的に有名な作家やブランドの製品ばかりが並ぶ、とびきりハイクラスな見本市。

初めは〈テラダモケイ〉の前身、〈1/100建築模型用添景セット〉が、次は〈空気の器〉が、展示の中心だった。ブースは黒山の人だかりとなり、ニューヨークMoMAを始め、世界のミュージアムショップからオファーを集めた。「初期段階からハイクラスのお店とお取引ができたことは幸運でした」。

それに伴い多くのメディアの注目を浴び、続いて金沢21世紀美術館、森美術館など各地のミュージアムショップが、また、デザインへの感度の高さを売りにするセレクトショップでの販売が始まった。現在、国内の取引先は150~200件、海外でも約100件はあるという。

〈空気の器〉〈テラダモケイ〉をはじめ300アイテム以上のラインナップがあり、「百貨店の催事では、富裕層の方がまとめ買いして、海外の方に日本土産として贈っていらっしゃることも」。ここまで繊細なギミックを持つ紙製品は世界でもめずらしく、そこに従来の和風趣味とも異なる、新鮮な日本らしさを汲み取っているようだ。























社員の反発心を溶かす、社外の高評価

通常、完全受注生産から自社ブランド立ち上げへシフトしていくには、販路開拓や売上予測、在庫管理などの課題が考えられる。が、アパレルの企画営業を経験した山田社長には、それはさほど高いハードルとならなかった。それよりも、社内の反発が強かった。

「印刷して、型を抜いて……やってることはそれまでと同じなんですけどね」。

昔気質の社員たちには、社長のデザインへの傾倒は、あるいは煩わしかったかも知れない。また、営業面でも、従来のルート営業と、アートショップを新規に開拓する営業では求められる資質が異なるため、新たな人材の採用が必要だった。数名のチームを常務の祥子氏が指揮するが、これは社内に別組織ができたようにもとられかねない。変わっていく自社への苛立ち。が、変わったことで、メディアへの露出は飛躍的に増えた。

洗練された製品群で福永紙工に関心を持ったバイヤーやアートディレクターがコラボレーションを申し込んで来たり、催事関連のデザインワークをオーダーしてくることも増えた。相手は名だたる有名企業ばかりだ。山田社長は「今日取材が来たよ」「この精密さはすごいってほめられたよ」と、技術部門の社員に伝えるよう努めた。

「できて当たり前」の印刷・加工の世界で、顧客の声が聞かれる機会などクレームくらいのものだ。外部の評価があってこそ、「認められている」という手応えも生まれる。

「今でも、『これできる?』と技術者にデザインを見せると、『できねえよ!』って一蹴される。でも、できるんですよ。元々、技術は高いんですから」。

モチベーション向上に加え、売上面も直近で4億1000万円と、プロジェクト発足前に比較し、約1億円のプラスとなった。この1億は見かけ以上の価値がある。この間、利益率が大きく改善されたからだ。企画デザインなど上流工程を取りこんだ結果、一つの製品が世に出るまで、ほぼ全工程を自社で行うため、無駄がない。

また、オファーに応える形なので、顧客とは対等の立場で、好条件の仕事のみを受けることができる。その代り、「そのショップでしか買えない」「その土地に行かなければ買えない」という付加価値を、盛り込んでいく。「やるからには極端に振り切っていかないと」。その思い切りと「好き」へのこだわりが、終わりのない価格競争から飛び出す原動力となった。

価値づくりのポイント
・一般受けでなく波及効果の高いトップ層を狙う
・小回りがきく中小企業の特性を活かし、無理のない開発
・メディア露出を社員のモチベーション向上に反映


 福永紙工本社の横に設置されたショールーム。
 様々な作品が展示されており、
 月に2回は販売も行っている












 福永紙工株式会社
 代表取締役  山田明良氏


 Profile
 1962年愛知県生まれ。アパレル商社勤務を経て、93年福永紙工(株)へ入社。
 2008年同社代表取締役に就任。06年よりデザイナーとの協働プロジェクト
 「かみの工作所」を発足させる。それまでの製造のノウハウをベースに
 自由で斬新なデザイナーの発想を融合させ、工場発の主体的な紙製品の開発、製造、
 そして自社内に小さなメーカー機能をもち「販売」も手がける。



Company Profile
福永紙工株式会社
東京都立川市錦町6-10-4
TEL 042-523-1515
創 業 1963年1月
資本金 4800万円
売上高 4億1000万円
従業員 数42名
http://www.kaminokousakujo.jp/
http://www.fukunaga-print.co.jp

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