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製造 × 強い組織づくり 特集「ピンチをチャンスに変える」
生キャラメルで夢の扉を開く

株式会社向山製作所

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向山製作所は過去何度もピンチに見舞われている。 そのたびに新しいことにチャレンジして、ピンチを チャンスに変えてきた。その結果、生まれたのが人 気の生キャラメルだ。どのような想いで危機を乗り 越え、新たな価値創造にリーダーシップを発揮して 来たのか? 同社の織田金也社長に聞いた。

部品メーカーが作るキャラメルが大人気

向山製作所(福島県安達郡大玉村)の生キャラメルが人気だ。材料にこだわり、手づくりで丁寧につくられるその味に全国から多数の注文が来る。しかし、同社は最初から菓子メーカーだったわけではない。スタートは電子部品メーカーで、現在も売上げの約5割は電子部品だ。設立は1990年9月。創業者の織田社長は東京の大学を卒業後、地元福島で就職したものの、最初から起業を考えていた。3年かけて資金を貯め、25歳の時に自宅脇の物置を改造し、従業員5名で創業した。

最初に手がけたのは業務用カラオケのレーザーディスク用オートチェンジャーの電子部品だった。精密さが要求され、どこでもつくれるというものではない。注文は殺到し、事業は順調に伸びた。5年後には従業員も15人ほどになった。ところが通信カラオケの登場で状況は一変する。「加えて、バブル景気の崩壊で受注は激減。会社は朝8時半に始まるが、午前10時にはもう仕事がない状態だった」と織田社長は当時を振り返る。やむなく、会社を畳む決断をして、従業員たちの再就職先を探した。仕事をもらっていた会社に頼み込み、何とか全員を雇ってもらえることになった。

ところが、従業員はみんな辞めたくないと言い出す。当時の従業員のほとんどは近所の主婦。家に帰れば仕事があるから大丈夫と逆に織田社長が励まされた。となると、新しいことを始めなくてはならない。実は、織田社長は業務用の調理機器を購入して自分用の厨房を作るほどの料理好き。そこで、総菜屋か弁当屋を始めようと考えた。

そこで郡山に新設された調理学校に2年間通うことにして、従業員に相談したところ、みんな快く了承してくれた。もちろん、会社は続けながらだ。しかし、調理学校ではすぐに調理場をつくることは難しいと考え、無給でいいと無理に頼んでホテルの厨房で働くことにした。「夜帰ってきて、自分の会社の仕事をして、寝るのは午前3時、4時という生活を続けた」という。それでも、なかなか新しい展望は開けなかった。その間もどんどん仕事は減っていく。そんな時、突然追い風が吹いた。携帯電話の急激な普及による電子部品事業の復活だ。


電子部品の製造作業



思いがけない追い風で会社は息を吹き返した

携帯電話はどんどん小型になり、部品も小さくなっていったが、その部品をつくるためにマイクロソルダリングという特殊なハンダ付けの技術が必要だった。同社はその技術を持っていた。たちまち、会社は持ち直した。仕事が急増し、わずか1年半で従業員を15人から100人に増やした。こうして、ようやく苦境を脱することができた。 そこから、下請けからの脱却を目指して様々な試みが始まる。

2006年には郡山にできた「ものづくりインキュベーションセンター」に入居し、研究開発室も立ち上げた。そんな様々な取り組みのなかから出てきたのが、福島県の農産品を使った新しい食品を開発するフード事業の構想だった。 ちょうどそのころ、東京の大手百貨店が店内の一番目立つところに、次々とスイーツコーナーをつくり始めていた。

調べてみると、地方の食品メーカーの製品が数多く置かれている。「これだ!」と思った。しかし、工場には開発にあてるスペースがない。そこで、給湯室でガス台と鍋ひとつでつくれるものはないかと考え、選んだのがキャラメルだった。 普通のキャラメルでは面白くない。歯に付かないキャラメルをつくることを決め、開発はスタートした。ところが、歯に付かないという点は比較的短期間でクリアできたのだが、味が美味しくない。開発は難航した。

仕事の8割がなくなりキャラメルが頼みの綱に

そうこうするうち、2008年にリーマンショックが起こり、会社は大打撃を受ける。仕事の8割を失ったのだ。もはや、キャラメルに賭けるしか選択肢はなくなった。そんななか、ついに満足のいく味の生キャラメルの開発に成功する。当初は販売では苦労したが、郡山で開かれた食品商談会で東京の老舗百貨店の特別なセレクションに採用される。以降、有名百貨店からの催事出店のオファーが次々と舞い込むようになった。ついには大手航空会社から国際線ファーストクラスのプチフール(お茶うけ菓子)に使いたいという話まで決まった。これで会社の将来に明るい光が差し込んだように思えた。




滑らかな口どけと食感で
人気を博す生キャラメル






しかし、またまたピンチが襲う。2011年3月11日、東日本大震災が発生。その後の原子力発電所事故の問題があり、主原料の味を左右する生クリームを製造していた唯一の県内企業が生クリーム事業から撤退してしまう。その他の原材料も福島産にこだわっていたため入手困難となり、製造を休止せざるを得なくなった。夢の扉が閉じられようとしていた。全国から生クリームを集め、以前の味の再現に努めた。

しかし、ようやく生産を再開したものの、解決の目途が立たない原発事故による風評被害のため、生キャラメルはまったく売れなくなっていた。「福島のものは口にしないと決めている」。そんな心ない言葉を投げかける客もいた。販売会場では放射線検査の結果を示して安全性を訴えたが、かえって逆効果。その後も全国の百貨店で販売活動を続けたが、どこでも反応は同じだった。もう生キャラメルはあきらめるしかない。しかし、まったく他人の手を借りずに自分たちだけでつくり上げたこの製品の本当の価値を確かめたい。自分達の夢の扉をもう一度確認したい。日本が駄目なら海外でどうかという思いに至った。

2012年、世界的に有名なスイーツの祭典「サロン・デュ・ショコラ・パリ」に出店した。結果は大成功だった。向山製作所の生キャラメルは本場フランス人の舌をうならせたのだ。これを契機に4年連続で「サロン・デュ・ショコラ・パリ」に出店し、再び売上げは右肩上がりで伸び始めた。その後、直営店を次々とオープンさせ、年内には菓子専門工場も完成予定だ。専門工場では販売も行い、この地域に少しでも人が訪れてもらいたいと考えている。






「サロン・デュ・ショコラ・パリ」会場での展示
パリジャン・パリジェンヌに人気の展示ブース


振り返ると、向山製作所は三度、大きなピンチに見舞われている。だが、その間、一人の従業員も解雇していない。そんなリーダーに従業員がついてきた。それだけではない。2度目のピンチの時、従業員に自宅待機を命じたことがある。給与を支払っての自宅待機だから不満はないはずと思ったのだが、辞めたいと言い出す従業員が出た。そこで気づかされた。「給与よりも、希望を与えることが大切。これから何をしたいのかという自分の想いやビジョンを十分に従業員に話していなかった」。

ピンチをチャンスに変えるのは、何よりリーダーの強い意志と従業員と夢を共有する仕組みにある。「夢の扉は決して閉ざさない。その一念が従業員のやる気と結束を引き出した」と語る織田社長。第二、第三の「夢の扉」に向かって、未来に希望の光を灯す同社の挑戦は続く。



株式会社向山製作所
代表取締役社長 織田金也 氏










CompanyProfile
株式会社向山製作所
設 立 1990年9月
資本金 2000万円
売上高 5億円
従業員数 120人
福島県安達郡大玉村大山字西向26
0243-68-2455
www.mukaiyama-ss.co.jp

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