「企業事例」や「経営者インタビュー」など、日々の経営にお役立ていただけるヒントをお届けします。 また税務や労務など、経営実務に関する記事も掲載いたします。(一部会員限定の記事もございますので、ログインの上ご覧ください)
当社は2001年に父が興した会社です。父が亡くなって長男の私が後を継いだ10年、「大工小林」と社名を改称し、17年に法人設立しました。もともと父は大工として、地元の工務店に30年勤めていました。子どもは私を含む3人息子で、父の背中を見て育つうち、自然と大工に憧れるようになりました。長男の私は工業高校を卒業後、豊橋で6年間大工修業をし、次男は高専を卒業後に東京のゼネコンに就職、三男も工業高校を卒業後に岐阜に3年間大工修業に出ました。私の修業が終わるころ、次男も地元の愛知に戻り、三男も修業を終えました。そこで父が工務店から独立し、個人事業主として01年に「小林建築」を設立したのです。父が棟梁、息子3人が大工として働き始めました。最初は元請けの仕事はほとんどなく、父が働いていた工務店から大工工事を頼まれたり、その他のつながりで地元工務店からの仕事を受注するなど、下請けやリフォームが中心でした。父は、「真面目に一生懸命やれば仕事がある」という考えでしたが、実際の経営状態は決して順調ではありませんでした。
当社は、1950年、現在の諫早市多良見町に薬剤師の祖父が開局した諸岡薬局が始まりです。65年に祖母が会社を引き継ぎ、薬種商販売業に業態を変更しました。その後、75年に父が引き継ぎ、93年に現在の喜々津駅前に店舗を移転。98年に法人化しました。現在は、常駐の薬剤師と調剤室を設ける必要のある「薬局」を4店舗、常駐薬剤師が不要な「薬店」を1店舗経営しています。薬店はドラッグストアと同様に日用雑貨も販売しています。調剤薬局は、近隣にある医院の患者層によって、客層が大きく異なります。内科は60代から90代までのご高齢の方が中心、小児科は、お子さんと20~30代を中心とした若い親御さんが中心となります。婦人科は当然女性の方ばかりですが、耳鼻科や皮膚科の患者さんは、年齢や性別を問わずいらっしゃいます。そこで、店舗ごとに少しずつ取りそろえる市販薬や商品も変えています。
当社は1938年に私の祖父が創業しました。祖父は木型の製作をしながら、鋳物工場の工場長を兼業していました。70年、鋳物工場を経営していた会社が撤退したため、大阪で働いていた父が戻り、工場と従業員を引き継いで法人設立をしました。現在は、船舶、上下水道機器、産業機械製品の一貫生産をしています。具体的には模型製作、鋳造、熱処理、機械加工などです。私は大学卒業後、大阪で教育関連の仕事に就きましたが、子供の頃から工場を見て育ち、地元が好きだったので、いずれは会社を継ぎたいと思っていました。大阪で10年働いたのち地元に戻り、2007年に常務取締役として就任、16年に代表取締役に就任しました。